アラフォー父ちゃん

仕事、家庭、育児、人生、惑いまくりの名もなき団塊ジュニアのつぶやき

おばあちゃんが施設に入ることの幸せ

うちのおばあちゃんは、僕が生まれた時からおばあちゃんだ。
当たり前だけど。

今90台半ば、今僕が40歳だから、55歳ぐらいの時の孫になる。

昨日そのおばあちゃんが引越しした。

僕が生まれるはるか前、父親の子供の頃から住んでいた家を離れる。
正確に言えば阪神大震災の時に倒壊した後また建て替えたので、家は変わってるけど、それでもかれこれ60年ぐらいはその街に住み続けたことになる。

その街を離れ、ついに施設に入る決断をした。

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年老いるといろんなところにガタがくるもんで、おばあちゃんも10年近く前から片耳が著しく悪くなった。
そして数年前からは、音や言葉の高低を認識できなくなったそうで、全ての音はザーッという雑音にしか聞こえなくなった。

おじいちゃんは震災の影響で20年近く前に亡くなって、それ以来一人だ。

でも、補聴器をつければなんとか会話できないことないし、僕が物心着いた頃からおしゃれを決めていたおばあちゃんは今も紫の髪の毛だ。
今年に入ってからもボケずに一人暮らしを続けていたけど、ついに昨日、自らの意志で、施設に入った。

「昔おばあちゃんは辛かったのよ。」

おばあちゃんが若い頃の話を聞いたことがある。


貧乏だったけど、頭と気力で出世したおじいちゃんに連れ添い続けたおばあちゃん。
現役時代は良くも悪くも頑固なやり手だったおじいちゃんだったらしいが、僕が見るおじいちゃんはいつもコタツの決まった場所から動かず、ただ新聞やテレビを見ていた印象しかない。

そして微動だにしない、絵に描いたような亭主関白を支え、おばあちゃんは長年身の回りの世話をし続けた。

そして父親を含む三人兄弟、三人が三人とも頭でっかちの理屈王で、歳いってからも元旦から冷房はなぜ冷やすのか、というマニアックな議論で大盛り上がりする姿は、外様の自分の妻を呆れさせるほどだ。

そんな男だらけの家の中では、食事中も会話は全く盛り上がらない。

「ほんとは娘とかとオシャレの話とかしたかったのに、きつかったよ、女手一人で、全然動かない、反応もない男4人の世話をし続けるのは。」

と思い出愚痴を聞かされたこともある。

でも普段は根っからポジティブなおばあちゃん、また新しい人間関係もできる、と「楽しんでくるよ」と言い残して施設に入って行った。

そのポジティブさの血が少しでも自分にも流れていることは嬉しい。

昨日は、近くに住む父親はもとより、カナダと東京にそれぞれ住むおじたちも集結し、一緒に引越し作業をし、実家から持ち込んだ家具で、これまで住み慣れた家そっくりの部屋に仕立てたらしい。

きっと90年も生きると、そりゃ思い出したくもない時代や出来事は数限りなくあるだろう。

でも、人生の最後のステージを迎えようとするその時に、我が子たちがそろってそれを壮行してくれる、親としてこれほど幸せなことはないだろう。

僕も長生きしよう。

できるだけ親孝行できるように、また僕の子供達が親孝行をする喜びをできるだけ長く感じられるように。