たまには選択を放棄した方がいいと分かったわけ
まだ新聞は紙で読みたい僕は、通勤時間に新聞を読むのが日課になっている。
今朝の日経のコラムで、「選択の科学」というアイエンガー著の経営書が紹介されていた。
曰く、選択そのものが不幸を生む場合があり、他人まかせが良い時もある、とのこと。
この本では、「負の選択肢」を一つ選ぶことが書かれている。
早産で障害を持ち、死亡確率40%、生存確率は60%だが植物状態の赤ちゃんに延命治療を続けるか死なせてあげるかという「選択」。。
想像するだけで重いこの選択、実はアメリカとフランスではその意思決定方法が違うらしい。
アメリカでは親が決める。
でもフランスでは親の異議申し立てがない限り、医師が決めるらしい。
この決定が後の当事者たちにどのような影響を及ぼすか。
アメリカの親は罪悪感を引きずる一方、フランスの親は自らも医師も責めないらしい。
これは面白い。
よく考えると僕らの人生は選択の連続。
結婚、就職、出産、家や車などの大きな買い物など、人生で大きな節目となる選択はもちろん、毎日の仕事でも選択の連続。
それだけじゃない。
朝起きて、いや目覚ましがなってすぐ起きるかどうかから、朝食のメニュー、着ていく服、傘を持って行くか、家で済ませること、夜や週末の予定、、、自分たちが何気無くやってる些細な選択を合わせるときりがない。
そして、そういった選択にはいちいち感情の揺れ動きが左右する。
先にこの上司に話を通しておけば良かった、別の服にしておけばよかった、傘持ってきたらよかった、誘いに無理に乗らなければよかった、、、といった後悔が生じることも枚挙にいとまがない。
そう、結局僕らは、気づいていようが気づかなかろうが、その時その時の感情(期待といってもいいかも)とともに選択し、その結果に一喜一憂させられてる。それが「負の選択肢」でなくても。
だから「選択を委ねること」、それは時として、不幸な感情から逃れるひとつの有効な手段なのかも。
旅行やイベントの段取りや企画を周りに委ねる、お寿司屋さんでおまかせメニューにする、投資銘柄をプロにまかせる、、、
選択だらけの人生だからこそ、任せられるものは任せてしまう、というのも幸せな選択かもしれない。
ただ一つだけ注意。
「任せるよ」
よく同僚や妻に言うこの言葉。
自分の胸に手を当てて振り返る。
「本当に心底任せてる?」
実は「任せるよ」の裏に、「でもこういう結果を期待してる」と言ってないか?
任せるんだったら、その結果すら委ねて受容するぐらいの姿勢でいたいもんだ。
きっとその方がよっぽど幸せな気がするし。