夏休みの思い出に広島の世界遺産に行ってきた
一週間の夏休み、仕事からもブログからもITからも離れ、広島旅行に行ってきた。
小学校の修学旅行以来実に約30年ぶり!
子供の頃にはあまりわからなかったけど、広島って素晴らしい!
歴史と文化に彩られたとても魅力的な街だった。しかも人々が、みな優しくて親しみやすい!
一気に惚れました。
少し前の記事と同じだけど、やっぱり実際に目で見て思いを新たにしたので、もう一度書いておきたい。
子供達を連れて広島に行くことはもうないかもしれないし、そりゃ原爆ドームと資料館は行っとくべきでしょう、とお好み焼きでお腹いっぱいになりながら歩いた。
確かクラス代表で折り鶴を捧げたこの公園、でも恥ずかしながらそれぐらいしか覚えてないけど、今回家族を持った身として、また子供を連れての見学には感じるところがたくさんあった。
一番感じたこと。
やっぱり歴史は風化させてはいけない、ということ。
これまた恥ずかしながら、僕自身、子供時代の記念公園の記憶なんてほとんど薄れ、戦争の悲惨さなんて、いっとき本や映画をみながら、「やっぱりいかんよねえ」と思いながらも、実感はというと経験してないだけにどれほどあるのかわからない。
しかも原爆投下から69年。
本当にライブで戦争を体験し、また原爆を体験した人は、ほとんどお亡くなりになられてる。
僕みたいに、すぐ風化してしまう人はこれからもっと増えるだろう。
だからこそこういった目や耳で感じ取ることができる空間の維持はとても大事だ。
平和記念公園は入場料50円で子供は無料、とにかく多くの人に見てもらいたいという強い思いが見える。
もしそれを東京で聞いたら、「ふーん」程度にしか聞いてなかったけど、あらためて広島に行って、一瞬にして何万もの家族を殺してしまったその威力を目の当たりにしながら考えると、たとえそれが聞き入れられなくても、たとえ「意味あるの?」と笑われたとしても、発信し続けることに意味があるんだという重みを知った。
それでも近年、子供達がトラウマになるとかで、凄惨な描写を伴う展示物は目に触れなくなってしまったらしい。
数年後の建て替えでは、投下後、血まみれになって市内をさまよう人々の人形も撤去されるとか。
でもそうやってどんどんソフト路線にいくと、僕のような一般人にはますます伝わらなくなるんじゃないかなあ。
そういえば僕らが小学生の頃、図書館に普通にはだしのげんが置いてあった。
漫画全盛期で、読む物がなかったので渋々手に取ったのを覚えてるけど、その描写のインパクトは今でもありありと思い出す。
ただ最近はその描写がどぎつ過ぎて、閉架扱いの学校が多いとか。
作者曰く8割は事実だけど残りは事実ではないとの話。現実はもっと酷かったけどとても見せられないからソフトにしたとのこと。
作者自身が家族の死を含め身を持って体験し、その悲しみと格闘しながら命がけで描いた漫画でもある。
確かに気持ち悪かったりショックを受けるかもしれない。
でも全員ではないだろうし、興味のある人にまでそれに触れるチャンスをなくす必要まではないんじゃないかなあ。
交通事故をなくすために、悲惨な描写がビデオやポスターで目にすることが多くなった。
防災のためいろんなキャンペーンもある。
悲惨なことが繰り返されないよう、こういった啓発は賞賛されても非難されることは少ない。
しかも世の中にはもっと有害で危険な描写や映像が溢れてることを考えると、由緒ある、といっては変だけど、歴史と人々の思いが詰まった原爆の記録は、やっぱりもっと目に触れていいと思う。