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アラフォー父ちゃん

仕事、家庭、育児、人生、惑いまくりの名もなき団塊ジュニアのつぶやき

障害者は可哀想なんかじゃない

社会・世界のこと
昨日までアンプティという単語は知らなかった。

ハンプティ・ダンプティなら知ってたけど。
というしょーもないギャグが恥ずかしくなる話を昨日知った。

アンプティ=amputee

切断患者、切断手術を受けた人

という意味らしい。

昨日チャンネルを回してたらたまたまNHKのその番組が目に止まった。

片足しかない人たちが、杖を両手にボールを蹴る。

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アンプティサッカーに打ち込む人たちのドキュメンタリーだった。

とても器用に、しかも力強く、彼らは相手に対峙し、そしてボールを蹴る。
その姿は紛れもない競技者のそれだ。

このスポーツ、海外ではすでに一般的だったけど、日本では誰も知らなかった。
そんな時、日本にやってきた日系人のアンプティ、そしてアンプティサッカーのブラジル代表だった彼が、日本に広めたらしい。

日本にチームができたのもほんの6年前、今でもまだ全国で4チームしかない。

でもこのスポーツは、心ならずも片足を失った人たちに力強い希望を与えている。

チームのメンバーもそれぞれ葛藤を抱えていた。
人前で義足を外すことが辛い、片足がないことでどこか見えない偏見や差別に苦しんでいた、と当時を振り返る。

そんな彼らがこのアンプティサッカーに出会い、打ち込むことで、これらの苦しみや辛さから解放された。

そして、実力的にはまだまだだけど、彼らは日本代表として、アンプティサッカーのW杯にも出場した。

TVに映る彼らの表情が、どこか逞しく、誇らしげなのが印象的だった。

「ちょっとした花粉症や食物アレルギーの延長線上、少し不便を感じるぐらいに思えるようになった。」

彼らが乗り越えたものは、僕らにははるか及びもつかないほど大きい。

途中、28歳の男性が紹介された。
数ヶ月前に片足を失ったばかりで、ショックが冷めやらず、なかなか外に出て友人たちと話すこともできない。

自分の未来がどうなるのか途方にくれていた。

でも、何かに助けを求めたい、との一心で、チームに連絡をしてきた。

温かく、そして適度な距離感で迎えるチームメイト。
同じ苦しみを乗り越えてきたからこその気遣いだという。

「まだ足がある感覚で、ついそっちの足を動かそうとしちゃうんですよねえ。」
という言葉が痛々しい。

彼がインタビューで自分の気持ちを吐露する。
「今はまだ、足を失ったことをマイナスに考えている。でも、自分が生涯を終える頃、足を失って良かったと思えるようになりたい。」

また1人、苦しみに立ち向かおうとしてる立派な人がいる。

最後に紹介されたのは、まだ7歳の子供だった。
サッカー好きのその少年は、入学間もない頃に交通事故で片方の足首を失い、以来杖なしでは歩けない。

でも、アンプティサッカーに出会い、今では学校でも友達とのサッカーを楽しんでる。

そんな人たちの様子を目の当たりにしながら我が身を振り返る。

俺は、しっかり立ち向かってるか?
すぐに言い訳して辛いことから逃げたりしてないか?

たまに障害者のひとたちを見かけると、何か優しい気持ちになる。

でもそれは、そんな気持ちになったつもりでいるだけかもしれない。
どこか、「かわいそうに」という、上から目線とともに。

でも、ほんとは障害者は可哀想なんかじゃない。

僕らよりもはるかに強く、逞しく、まっすぐ前を向いて生きている、お手本とすべき人たちなんじゃないだろうか。