アラフォー父ちゃん

仕事、家庭、育児、人生、惑いまくりの名もなき団塊ジュニアのつぶやき

群れることと異質さを正しく理解する大切さ

そもそもヒトはなぜ群れたがるんだろう。

最近の痛ましいニュースを見てふと思った。

パキスタンタリバンが学校を襲撃して、子供を含む140人が死亡したとか、アメリカで黒人が警察に射殺されて抗議行動が広がってるとか、シリアで政権と反体制の争いで多くの国民が犠牲になってるとか、世界中の悲しい抗争や戦いは後を絶たない。

その根底に流れるのは宗教や人種、政治・思想の違い。
同じ志を持つ、というところまでは耳障りがいいが、対抗勢力が現れるととたんに争いの種が生まれる。

何も世界的な殺し合いだけではない。

日常を見渡しても、政治や会社、あるいは町内会やPTAすら派閥が存在する。
子供だってクラスの中で、自然とグループができていき、何かしらに属するという社会行動が自然に行われる。

そして、他に属する者やどこにも属さない者の異質さに対する排他的な心理も同時に生まれる。

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有史以来、ヒトはずっと愚かな戦いを繰り返してきたことを考えると、この心理は抑えることのできない、DNAに刷り込まれたものなんだろう。

確かに僕らヒトの先輩に当たるチンパンジーやゴリラだって、群れをなすし、グループのボスは自らのグループの生死をかけて他のグループと争う。

それもこれも、自分たちの餌やすみか、そして子孫を残し育てるために必要な環境を守るためだ。

群れを作ること、そしてその群れを守ることは、自分たちが生きることに直結する。

でも高度な知性を身につけて言葉と考えることを覚えたヒトは、同時に群れることと争うことの本質も拡大解釈し始めたような気がする。

冷静に考えれば、もともとは群れる理由であるはずの主義や主張、考えの違いは、即自分たちの生死を脅かすほどのものではなかったはずなのに。

自分の快適な環境や人生のために作る擬似的な群れが、やがて異質に対する違和感に変わり、そして争いへと発展する。

群れを作るなとは言わないし、それをやめることはできない。

でも僕ら一人一人が群れを作ることの根源はどこにあって、その無意識的な思考が行動にも影響を与えているという現実を正しく知っておかないと、世の中のしなくていい争いは減らない。

地球を守るため、世界の賢人たちは生物多様性の重要さを謳う。
ヒトは地球上に存在すると予測される860万種の生物のうちの一つにすぎない。

そもそも地球上は多様で異質なものに満ち溢れている、異質が基本にあるのだ。

もう一度身の回りの世界に戻る。
我が子は3人いる。
妻と自分、同じDNAから生産された子供たちですら、全く自分と異なる。
そしてまた見事に三者三様だ。

自分に最も近いいわば分身のような
存在ですら、異質であると認めざるを得ない現実もある。

異質に対する受容と寛大さを僕ら一人一人がもっと備えないと、安らかな世の中は訪れない。