忘れられないあの日の出来事から得たもの
今日やったこと。
ここに書くほどでもないどうってことないことばかり。
でも、今日はあえて記録しておきたい。
朝起きて、家族でダラダラと朝ごはんを食べる。
少しは家事の手伝いをしないといけないから、洗濯機をまわし、食器を洗う。
グズグズやってる子供達をけしかけ、勉強机に向かわせる。
たまにわからないところを教えるが、小学生の問題もなかなか骨が折れる。
長女は受験直前。
最近は妻がつきっきりで、過去受けた模試の見直しを一緒にやる。
あまり邪魔をするわけにもいかないから、午後からは、下二人を連れて、ちょっとした動物園もいる少し大きな公園におでかけ。
ただ、寒い。
あの日はどれぐらい寒かったか不思議と記憶にないな。
ブルブル震えながら動物を見る末娘をなだめて、あったかい図書館に行くことにした。
帰り道、妻からのLINEでの指令に基づき食材を買って帰る。
洗濯物を取り込む。
家族そろって夕食を囲む。
あとは風呂に入って眠るんだろう。
このまま何もなければ。
確か、20年前の昨日もそんなどうってことない日を過ごしてた。
そして迎えたその日。
まだ多くの人が眠りについてる早朝に突然やってきた。
関西では地震が起こらないという思い込みを、その時は誰も疑ってなかった。
20年過ごした愛する神戸が一瞬にして、無残な姿になった。多くの犠牲者を出して。
被害がひどかった長田に住んでいた祖父母を、その日に父親と助けに行った時に車から見た光景が忘れられない。
道路の両脇は燃えさかる家々が立ち並ぶ。
その前に呆然と佇むおばあちゃん。
数キロ先には、大きな煙の柱が、灰色の空に何本も立ち上る。
その後も不自由だった。
幸い電気はついたが、水とガスが出ない。
毎日池までトイレ用の水をくみにいった。
久しぶりに行く地元の小学校が救援物資の配給場所になった。
みんな大学生世代になって疎遠になってたが、小学校に行けば懐かしい顔も見え、無事を喜び合う。
みなここぞとばかり助け合った。
そのなんでもない優しさが嬉しい。
日本人最高。
無事に助け出した祖父母は、長田の家が倒壊して住めないのでしばらくうちの家に居候状態になった。
それだからか、おじいちゃんは日に日に弱り、1年もせず亡くなった。
長年住み慣れた家を失ったショックもきっと大きかったことだろう。
震災は多くの人たちの人生に深い影響を与えた。
今日20年目の節目を迎えた。
無事に生き延び、周りの人と助け合いながら立ち直り、そして今平穏な毎日を送ることができている。
今日はそのことをしみじみと噛み締めて、大切な人たちと一緒に感謝したい。