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アラフォー父ちゃん

仕事、家庭、育児、人生、惑いまくりの名もなき団塊ジュニアのつぶやき

「もう長くない」と聞かされたら。

母からメールがあった。

「おばあちゃんはGWまでもたないかも。」

今僕には二人のおばあちゃんがいるが、先日施設に入ったばかりのハイカラおばあちゃんじゃない方のおばあちゃんのこと。

先日施設で99歳のお祝いをしてもらったらしい。娘や孫、ひ孫たち数人に囲まれてのお祝いだった。

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すでに認知症が進んで数年、もう僕らのことはわからないけど、会うたびに、「おかげさまで」とか「ありがとう」と柔らかい微笑みで迎えてくれていた。

でも最近は熱も続き食事も喉を通らなくなったらしい。

元気だった頃、おばあちゃんから「自力で食べられなくなったら点滴とか無理せんといて」と言われてたらしく、今は摂取できる限りの水分などをとってるのみ。

そんな状態になってから一週間近くになるようで、意識がはっきりしない時間帯が増えてきている。

4月は仕事も家庭も何かと忙しい。
来週からは中学進学やら入園も控える。
僕は東京、おばあちゃんは地元神戸だ。
会いに行くにはちょっと遠い。

でも、孫たちは遠方からでも時間を作ってはおばあちゃんに会いに行き始めた。もう何も言わず、ただ眠り続けるばかりのおばあちゃんに、何をするでもないけど、ただその温もりを感じに。

僕はどうしよう。

帰省するたびに顔を見に行っていたが、去年か一昨年だったろうか、もう僕らのことを理解できないおばあちゃんに会いに行って、あまり話すこともなく一目見て帰って以来、顔を見ていない。
でもそれは、そう遠くない将来、最期の時が訪れると薄々わかってながらも、どこかまた会えばいい、と思ってたからだろう。

でも今回はきっと違う。

もし次会う時が冷たくなったおばあちゃんだとしたら、僕は何を思うだろう。

僕が物心つく頃、物静かなおじいちゃんは脳梗塞の影響で半身がうまく使えなかった。
僕が子供の頃に見るおばあちゃんは、そんなおじいちゃんを支えながらも、今60を超えてもなおかしましい三人娘をさすが育て上げただけあって、貫禄十分の元気なおばあちゃんだった。

小さい頃母親から、「おばあちゃんは婦人会代表やったのよ」と聞かされていた。
今思うとそれが、どれほど大きな組織だったのか、あるいはその辺の町内会程度だったのかはわからないが、とにかく何やらすごい力を持った女傑だったんだ、という畏怖の念が小さい頃の僕には刷り込まれていた。

そんなおばあちゃんも、おじいちゃんが30年ほど前に亡くなり、僕が大きくなるに連れ徐々に丸くなっていった。

そう、そんな頃からおばあちゃんはいろんなことに「ありがたい」という言葉を発していた。

おばあちゃんが心の底から発するその言葉を聞くたび、何か元気付けられていた気がする。

もしかするとその言葉のおかげで、僕は今毎日を前向きに生きられてるのかもしれない。

40歳を過ぎて、少しずつだけど、自分の人生や死というものを考えるようになったが、僕にその前向きなDNAを受け継いでくれた肉親がまさにその生涯を終えようとしている。

昔、一度だけおばあちゃんに激怒された。
いても立ってもいられなくなって、洗面所に逃げたが、その怒りを招いた自分の浅はかなわがままに小さいながらにもすごく後悔したことを思い出す。

小学校時代には夏休みになると、弟とともに何日もおばあちゃんの家に泊まって、セミの鳴き声とともに目を覚まし、子供にとっては豪華な朝食にいつも心を踊らせていた。

学生時代、おばあちゃんの家の目の前の歯科に矯正のため隔週で通ってはその足でおばあちゃんに会いに行ってたな。
そして毎回、本当に変わることなく、僕の好物だったうな重カップヌードルのセットを出してくれた。

やっぱり会いに行かないといけない。
ありがとう、と言いに行こう。
そして尊敬するおばあちゃんの最期の生き様を目に焼き付けておこう。

おばあちゃんの家の前の通りは毎年、桜並木がきれいに咲いていた。
まだ見れるかなあ。