満開の桜の季節のお別れ
願わくは花の下にて春死なん
その如月の望月のころ
多くの桜の歌を残した西行法師が詠んだもの。
如月の望月のころ、とはお釈迦様が亡くなられた2月15日だそうだ。
西行法師は晩年、自ら食を絶って、お釈迦様の亡くなった日に近い2月16日に亡くなったとされる。
旧暦の如月の望月のころは、今で言う3月下旬あたり、まさに桜の季節らしい。
少しだけ間に合わなかった。
会いに行こうと思い立って、土曜の早朝新幹線で神戸に向かったけど、京都あたりで、母から「息を引き取りました」とメールがあった。
そして灘駅に到着。
そのままタクシーに飛び乗り、施設で眠るおばあちゃんのもとへ。
亡くなったばかりのおばあちゃんはまだあたたかかった。
おばあちゃんの温もりに触れられてよかった。
おばあちゃんが長年住む灘・王子公園の街は、桜並木が有名だ。
雨の予報に反して、朝から青空が広がっていたおかげで、町中が満開の桜、今は妹夫婦が住むおばあちゃんの家の前の通りも、それはもう見事な満開の桜だった。
食が細くなってからは水分しかとらず、一週間あまりを過ごしたおばあちゃん。
おばあちゃんの意思で、点滴や呼吸器はつけなかった。
現代医療では一度点滴などつけて延命を図ると、それを取ることは殺人にあたるらしい。
大きな病気もなかったおかげで、機械と薬の力で肺と心臓をただ動かし続けるだけの存在にならず、最後はゆっくりと命が尽きるのをみんなで見守ることができた。
そして、満開の桜の季節に亡くなった。
享年99歳。
お寺さんの場合は数え年のため、百歳。
お腹にいる時から生きているかららしい。
お腹の中にいる頃から動いてきた心臓は計算すると30億回以上、おばあちゃんの全身に血液を送り込んだことになる。
本当にお疲れ様。
位牌に書かれた「百歳」の文字が誇らしい。
おばあちゃんには三姉妹がいる。
そして15人の孫と、来月生まれる子を入れると15人のひ孫に恵まれた。
お通夜になった日曜、その日だけのために遠方から集まり、総勢40名近い親族が勢ぞろいした。
数年ぶりに見るいとこや、いつの間にか大きくなった甥姪たち。
久しぶりの再会は喜びと笑いばかりだった。
この親族の中でもトップクラスの笑いの持ち主が3姉妹たち。
亡くなったその日から、打ち合わせでもいろんな儀式でもボケとツッコミの応酬で笑いが絶えなかった。
もちろん、みんな大好きなおばあちゃんが逝って悲しくないはずはない。
でも、認知症が進んでなお、周りを和ませるようなジョークを飛ばし、施設のスタッフさんからも愛されてたおばあちゃんのことだ、こんなに賑やかで楽しげな親戚に見送られ、きっと笑って天国に行ってくれたはずだ。
妹の発案で、棺に親族からそれぞれのメッセージカードを入れた。
僕が選んだ言葉は、おばあちゃんから学んだ大事なもの。
「感謝」と「ユーモア」
おばあちゃんの血を分けた人たちには、確かにその二つが息づいていた。
そして僕にも。
おばあちゃんからもらったこの最強の二つの言葉。
これらがあれば、きっと人生楽しく過ごせる気がします。
おばあちゃん、ありがとう。
毎年の桜の季節の楽しみがひとつ増えました。
これからも見守っていてください。
ありがとう。