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アラフォー父ちゃん

仕事、家庭、育児、人生、惑いまくりの名もなき団塊ジュニアのつぶやき

アイデアが斬新すぎる?!世界の頭脳はここまで進んでいた

子供が年頃になると、どうでもいいドラマやバラエティよりも、Eテレにお世話になることが多い。
 
いろいろNHK批判が鳴り止まないけど、実際の番組ひとつひとつは純粋に知的好奇心をくすぐるものか多い。
 
毎回楽しみに視てるもののうち、スーパープレゼンテーションがある。
 
いわゆるTEDを放送してるものだ。
 
少し前だけど、番組の案内役である伊藤さんが所長を務めるMITメディアラボそのものに関わる特集があった。
 
言わずと知れたアカデミックの最高峰のひとつであるMITの最先端の研究所だ。
 
この研究所を30年ほど前に創設し初代所長を務めたのがニコラス・ネグロポンテ氏、インターネットはもとより、タッチパネルやカーナビ、電子書籍といった今は当たり前のテクノロジーというか生活様式を何十年も前に予言した人物として世界的に有名な人らしい。

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そんな彼がまたTEDに登壇し30年後の未来を予測した。

 

 
いわく、30年後にはドラえもんの世界であったらいいなシリーズのおそらく上位に位置するであろう、ある製品が発明されているだろうとのこと。
 
それは、暗記パン。
 
他人が思いつかないようなことを研究するのがMITらしく、すでにその研究は始まってるらしい。
 
さすがにパンを印刷するわけではないらしいけど、ある情報を備えた錠剤を服用することで、血流に乗って脳に作用し記憶ができるようになるとか。
 
いやもう画期的、というかそうなると僕らの孫の世代ではいよいよ、うんうんいいながら単語や公式や年号を記憶する苦労から解放されるかもしれない。
 
でもきっとそれはただじゃないし、余計に持てる人と持てない人の格差が広がるのかなあ。
 
いや待て、そもそも今の時代、人間は記憶することがそれほど重視されてるんだろうか。
 
諸説あるけど、人の脳の記憶容量は4テラバイトとも。そんなに少なくないかもしれないけど、現代であらゆる情報を脳内にストックすることは所詮無理な話だ。
 
しかも僕らがイメージする記憶力、それは単にストックされてる知識量が物理的に多いというだけでは不十分、それだけだとあたかも撮ってストックしただけで満足してる、整理も振り返りもされない膨大な写真データと同じだ。
 
そのストックから引き出されて活用されなければ全く意味をなさないものだ。
 
脳内で必要な情報を呼び起こす力が求められている。
しかもこれがやっかいで、歳を重ねるにつれ、知ってる情報をうまく呼び起こせない、というジレンマに陥る。
 
でももはやそんな心配をする必要もなくなりつつある。
 
今や「あれなんだっけ?」という疑問が浮かべば、すぐにググることができ、膨大な情報ストックから瞬時に欲しい情報が引き出されてくる。
 
普段当たり前に使ってるけど、このことってよく考えるとすごい、というか、末恐ろしさすら感じる。
 
何も覚える必要はなく、うまくその情報にアクセスする術を身につけていればいい、というこの状態は、現代の人たちの脳が持つ機能を実は退化させてるんじゃないかとすら思えてしまう。
 
もちろん読み書きそろばんの基礎的素養は欠かせないけど、僕らの孫たちの世代になると、記憶主体の勉強は完全に消えてなくなるかもしれない。
 
世間一般、あるいは他人も同じように持つべき情報は、もはや人の脳から離れて、クラウドの世界の公共財として存在するのかもしれない。
 
もしかると何百年後は、記憶が必要なくなった僕らの頭は今より小さくなってるかも?!
 
これからの時代、僕らは僕らの脳にどんな機能を期待すればいいんだろう。
なくならないものはなんだろう。
 
ひとつなくならない、と確実に言えるのは、その人、あるいはその人を取り巻く環境にしかない固有のもの、パーソナルな記憶かも。
 
大事な人たちとの関わり、喜怒哀楽、悲喜こもごもの思い出たち。純粋に自分の好奇心から湧き出る趣味など。
 
今も昔もそういう思い出の積み重ねで人生を過ごして行く。
 
結局どれだけ科学技術が進歩しても、愛おしいほどに不合理で非効率な僕らの脳の営みは変わらない、ということか。
 
いつまでたっても人間臭さは変わらない。
 
これを進歩の限界と見るか、拠るべき人間のアイデンティティと見るか。