ドログバ、ハンパねえ!
日本戦、後半途中からドログバがタッチライン沿いに立っただけで、スタジアムが揺れた。
そして、その存在感に日本は飲み込まれた。
プレミアリーグの二度の得点王の実績を持つ、世界的ストライカー。
でも、彼がすごいのは、サッカー選手としてだけではなかった。
最近、子供にもためになるので、池上彰解説塾をよく見る。
恥ずかしながら、途上国相手に仕事をしてるくせにあまり世界のことを知らなかった。
そしてドログバがどれだけ影響力のある偉大な人物だったのかということも。
完全受け売りですが、心が震えたのでシェアします。
幼い頃からフランスに住み、英才教育を受けるとともにサッカーの才能も開花させた彼。
その能力は高く評価されていただけに、コートジボワールとフランスの二重国籍を持つ彼は、W杯の活躍のため、フランス代表として選ばれることも可能だった。
でも、彼は祖国を選び、祖国の代表としてW杯に出場することを夢見た。
そして彼の活躍で、2006年のドイツ大会に初出場を果たす。
祖国は2002年ごろから続く北部と南部の内戦で荒れ果てていた。
旧植民地時代からの悲しい歴史が尾を引いて、民族間の衝突が続いていた。
そんな祖国の平和を願う彼は、W杯出場を決めた試合後、ロッカールームにメディアを呼び、チームメイトとともにひざまずいて国民に懇願した。
「W杯出場という共通の目標のもと、コートジボワールの様々な民族が共存してプレーできることが証明されました。
歓喜によって人々は団結できます。
今ここでひざまずいてお願いします。
どうかお願いです。お願いです。
豊かなコートジボワールで内戦が起きるのは許されません。
武器を捨ててください。そして選挙をしましょう。
それで全て良くなるはずです。」
内戦真っ只中のその時期、一時的とはいえ、このドログバの発言のおかげで停戦が実現したと言われている。
ただ、泥沼化した内戦はなかなかとどまることはなく、結局10年近くにわたり続いた。
でも、ドログバは諦めない。
サッカーを通じて国が一つになることを願い、南部にある政府の大統領にも直談判。
対立する反政府グループの本拠である北部でも代表戦をすることを認めさせた。
まだ内戦の続く2007年、アフリカ中が注目する中、マダガスカルとの代表選が、北部の地で行われ、ドログバは見事決勝点のゴールをあげた。
そして試合後テレビカメラが回る中、反政府組織の代表との会話で祖国の平和を約束させた。
彼は今、祖国のどんな偉い人よりも人気があり、尊敬されている。
↓たまたま、TV番組のシナリオがそのまま動画でアップされてたので、ご参考まで。
日本に勝利したコートジボワールの英雄ドログバ‼ ドログバの内戦を停止させたスピーチが泣け ...
↓実際の映像がこちら(別の番組の録画ですが)
【w杯初戦コートジポワール】 英雄ドログバ選手 - YouTube
コートジボワールは、これまでのW杯で、初出場の2006年は、アルゼンチン、オランダと同組に、続く2010年はブラジルとポルトガルと同組になり2大会連続死のグループに入り、ドログバの活躍虚しく(しかも2010年は闘莉王が直前に骨折させてしまった)、グループリーグで散ってしまった。
そして今回が3度目の正直。
年齢を考えると36歳のドログバにとっては最後の大会になるだろう。
W杯には選手個人であっても、その国々であってもそれぞれのドラマがある。
運命の25日、もちろん日本にはコロンビア相手に頑張って欲しいけど、この話を聞いてから、もし日本がダメなら、コートジボワールに決勝トーナメントに進んで欲しいな。
コートジボワールのドラマを応援したくなった。
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