最近の若者ってそっちの下心ないの?
また気になる記事に出会ってしまった。
15日の日経、
「モテたい意識しぼむ若者、異性より自分が好き」
20〜35歳の未婚の男女約2,000人からのアンケート結果で、「生活の中で異性にモテるかどうかを気にする」ことが多い、まあまあ多いという人は、4割に満たないとか。
結婚適齢期なのに。
なんでも理由は、趣味や仕事など他にもっと関心事がある、とか異性より同性を気にするとか、らしい。
ふーん、、
それって下心を隠してるのか、もしかして本当にないのか。。
自分なんてもう中年のお父さんだから社会的には「モテる」とかそういうのからは卒業した人扱いだ。
でも実際は、綺麗な人とかスタイルのいい人見たら、「おっ」と二度見するし、ありもしないシチュエーションを妄想するし、女性相手ならそりゃモテる男で在りたいと常に思うし(残念ながらモテそうと言われたことはなく、いい人とばかり言われるが)、正直下心は尽きない。
これって本能的なもので、男性にとっては性欲が続く限り、誰でも自然に沸き起こる感情や考えだと思ってたんだけど、そうじゃないんだろうか。
もしかして当たり前と思ってたことは、今や単なるエロおやじの珍しい考えなんだろうか。。
そりゃ、面倒くさいかとかメリットあるのかとか考え出すと、色々大変なことはあるけど、そもそもそういう損得や理屈を超えた部分じゃないのかなあ、本当は。
昭和の人にはわからない処理の仕方があるんだろうか。
謎だ。
「脱モテ派」とかいうらしい。
何それ。
イコール一生異性は気にしない、ということ?
一時的に「脱」であって、また「モテ派」に戻るという流動的なものなのかな。そうであってほしいけど。
なんか割り切れない思いで、今朝会社に向かいながや悶々と考えてた。まあ、他人のことを勝手におもんばかってもしょうがないんだけど。
本能的な部分を抜きにすれば、結局何に価値を求めるかであって、それは人それぞれ、強制はできないしなあ。。
名声?資産?寿命?健康?人脈?家族?娯楽?
いろいろある。
でも死んだらリセット。何かが残るわけでもない、たぶん。
と思うと僕らは何を追い求めて日々生きてるんだろうか。
そういう自分なりの価値を追い求めたりしながらも、結局は毎日毎秒、その裏側に潜む感情に支配されてるのか、僕らは。
僕だって、ここ数日の円安で、保有する外貨の価値があがるとムフフと思う。
所詮一時的なことに一喜一憂してるのはわかってるのに。
仕事で認められたりしたら嬉しいしその逆も多い。
家では喧嘩したり感謝されたり。
そういう日々の営みにはいつも自分のプラスやマイナスの感情が寄り添ってる。
どういう脳のメカニズムで、その感情が芽生えるのかはよくわからない。でも、確かに感情はいつも存在する。
そう思うと、いい人生の一番の近道は、資産や健康や家族や、そういうものではなくて、なんでもいいから、できるだけ多く長く「いい気分」でいられることなのか。
とすると6割の「脱モテ派」も、自分に素直に今そうなってるということなのね。
じゃあ、心配するまでもない。
その時々の最良を選ぼうとしてるということだ。
とにかく後悔だけはしないでね。
後悔は、どこまで行ってもマイナスにしかならないから。
これ、自分にとっても永遠の課題ですが。
後悔しない人が人生の勝ち組。
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