普通に幸せとかもう言えない
おとといの小学校プチ同窓会でもう一つ思ったことがある。
その集まりの中では、小学校時代の思い出と25年後の今があって、見事にその間共有したものがない。
なので昔のイメージから変わってしまったやつ、予定通り東大いって官僚になったすごいやつ、可愛かったのに今はバリバリの弁護士になって独身キャリアウーマンになってるやつ、といろいろ驚きがある。
そんな中で自分、前にも書いたけど、そいつらから言わせると、一番オーソドックスというか、想定通りの人生を歩んでるらしい。
そう言われると、なんか波乱もドラマチックなこともなく、つまんない人生を歩んでる気がして少し複雑だ。
確かに自分でもザ・普通を地で行ってる自覚はあるけどね。
普通に大学行って、普通に就職活動してサラリーマンになって、結婚して家には専業主婦がいて子供たちがいて、毎日残業して1時間近く電車に揺られて帰る毎日。
意外に思われてるのはこれまたお堅い銀行員から、当時まだリストラ以外での転職が今ほど普通ではなかった頃、同世代では一番早いぐらいに転職したことぐらいか。
まあ、そんなどうってことない人生だし、悩み事、不安満載の毎日だけど、それでも世間的には「普通」と捉えられる。
しかも不思議なのは、年を経るほど、どちらかといえばこの「普通」をポジティブに受け取られることが多くなったように感じる。
同窓会のそいつらも、どちらかといえばそういうトーンで言っていたことも分かってる。
なんでだろう。
きっとこのままいけば、歴史に名を残すこともない名もなき人生、戦国時代ならただの足軽か農民ぐらい、せいぜい田舎でちょっと潤った商人ぐらいだろう。
その程度の人生のどこを見てなんとなくいいと感じてくれる人たちがいるのか考えてみた。
確かに今の時代、転職は当たり前、起業するのも多く、普通に何年もサラリーマンをやり続けられる時代でもなくなった。
親戚から友人まで広く離婚経験者もいるし、いつまでも独身を謳歌してる人も。
女性が働くのも普通になって、共働きも自然な時代。
国際結婚もいれば、子供達の学校に複数人はハーフの子がいる。
自分の周りだけ見ても、多種多様な人生を歩んでる人たちがいる。
逆に言えば自分のような境遇の人は意外と少ない。
自分の普通の人生はいわばザ・昭和。
自分が思ってる以上に普通が希少になる時代に生きてるんだ。
でもこれも冷静に考えればまだ昭和世代が主流だから、ある種ノスタルジックに思われるだけで、自分の子供達が大人になる頃には、このスタイルすらone of them、あるいはただのマイノリティかもしれない。
もう「普通」の幸せはないんだ。
今は何かと不確実な時代で、先が見えない。
それは、まあだいたいこれぐらいの普通は享受するだろう、といったミニマムスタンダードすら僕らが捨ててしまったからかもしれない。
こうなってくると自分が自分で、自分なりの幸せな人生に納得するしかない。
これはけっこうきつい、わかりやすい基準がないから。
たまたま見つけたCNNの日本特派員の記事があった。
Yahoo!ニュース - エキセントリックな日本を伝える CNN東京特派員の復活 (withnews)
セーラー服おじさんを取り上げた特派員のメッセージが勇気付けられるものだったので最後に紹介しておきたい。
「やりたいことがあるならやりなさい。自分らしく生きなさい。」
僕らしい人生は?
だんだん古き良き?人生になってるザ・昭和の普通の人として、不確かな時代に名もなき田舎の灯台のように、ただそこに居続けることかな。
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