あなたのその行動に美しい意味はあるか
この前、柔道をやっている同僚から聞いた。
米国留学中にある柔道の大会に出た時のこと。
試合を終えて礼をしたあと、道場を降りようとしたところ、「礼儀知らず」と怒られたらしい。
礼に始まり礼に終わることを口酸っぱく教えられてきている日本人は納得がいかなかっただろう。
でもその地では礼ではなく、その後互いに歩み寄って握手を交わす、そのことこそが礼らしい。
bowよりshake handsということだ。
「えっ?!だから礼してるやん」
と主張してもしょうがない。
その地ではとにかく礼といって頭を下げるその行為自体はそれほどの意味はなくて、その後の握手に意味があるということらしい。
そうなると郷に入らば郷に従うしかないと、当人も諦めた。
でも、この話を聞いて、改めて「型」の意味を考えさせられる。
柔道や空手、日本の武道にはつねに型がある。
その一つ一つの動作にはそれぞれ意味があり、礼もその例外ではない。
長年受け継がれてきたその型だが、時と場所が変われば、その型自体の意味も変わってしまう。
その典型がアメリカでのbowなんだろう。
でも例えばプロのゴルフ選手やテニス選手がそうであるように、その型自体の美しさは、長年培われてきたからこその機能美がある。
一つ一つの動きに意味がある。
亡くなられた中村勘九郎さんが、名言を残されている。
「型を身につけねば型破りになれない。型を身につけてから破るから、型破りっていえるんだよ。型がなかったら形無し。」
そんな型、機能美を極めた女性がいる。
2012年の空手型の部で世界一になった宇佐美里香さん、機能美の極みを感じる。
「日本人の精神に敬意を」 女子世界一の空手演武に外国人心酔 - YouTube
凛としたその佇まいに、自らの背筋も伸ばされる。
日々、一つ一つの動きや行動を大切にしたいもんだ。