クリスマスの季節が近づくと言いたくなる、ルミナリエのこと
クリスマスシーズンが近づいてくると町中が色めき始める。
今や桜や花火のシーズンと同様、数々のイルミネーションスポットを教えてくれるサイトすらできていて、すっかり季節の風物詩となった。
でもちょっぴり複雑な気持ちになる、神戸出身者としては。
本当は「他とは違うのだよ、他とは!」とランバラル大尉ばりに(知らない人は放っておいてください)声を大にして言いたい。
神戸ルミナリエのことだ。
いつの間にか単なる季節の風物詩として、one of themに成り下がってるような気がして残念でならない。
自分の記憶が正しければ、こういったイルミネーションがメジャーになったきっかけは2000年ごろだったと思う。
ミレニアムという言葉がはやったその頃、東京駅周辺で、ミレナリオというイルミネーションが大きな注目を集めた。
その頃はすでに東京勤務になってたけど、神戸人にとっては、なんか新入りが鳴り物入りで登場した感じが気に食わず、結局見に行かなかった。
だってルミナリエはその5年も前から始まってたから。
そして何よりの違いは、その灯りの違い。神戸のルミナリエの灯りは他とは違う。
LEDが主流な中、ルミナリエは白熱球で頑張ってるらしいけど、そんな物理的なことではない。
95年、神戸にとってはどん底だった。住み慣れた美しい街が一瞬にして瓦礫の山になった。
当日、父親とともに長田に住む祖父母を救出しに行く朝に見たあの光景は忘れられない。倒壊して火の手が上がる家並み、見上げると遠く先まで何本もの煙が立ち上って空を薄暗く覆っていた。
何千人もの人が亡くなられ、多くの人が家や商売、ふるさとを失った。
そんな中、みんなの思いが結実して実現されたのがその年の暮れのルミナリエだった。
美しい灯りが一斉に灯った時、涙した人も多かった。 当時はまだまばゆい光が輝くそばで、瓦礫も残っていた。 美しい光のアーチをくぐり抜ける終点には、亡くなられた人たちの名前を刻んだ慰霊碑が立っている。
そして、そのルミナリエの真髄はクリスマスよりも前に迎える最終日の消灯式にある。
去年の消灯式の様子を動画に投稿してくれてる人がいた。 鎮魂曲やアナウンスの後、1分すぎぐらいからその儀式が始まるので、そこだけでも見て欲しい。
そう、ルミナリエの灯りはクリスマスのそれとは違う。 亡くなられた御霊の灯りであり、生き残った人たちの希望の光なんだ。
だから荘厳で尊い。
震災後20回目を迎える今年のテーマは、「神戸 夢と光」、震災で打ちひしがれた僕らを勇気付けようとした初回のテーマと同じだ。
今年は12月15日まで。 神戸では厳粛な祈りの日が続く。