「リア充」なんか一生無理。 リア充相対性理論
今日は素直に思うことを。
この前、大学時代に活動していたグループの同窓会に参加した。
大学時代からの付き合いなのでもうかれこれ20年かな。
みんないいおじさんやおばさんになってきて、盛り上がるのは大学時代のこと、仕事のこと家のこと子供のこと。
気心知れた仲なのでいつも楽しく話して帰るけど、いっつも少しだけみじめな気分になる。
なんでかって、その人らちょっと裕福な人たちなのよねえ。
昔からそう。
社長の息子とかけっこういたし、昔からおぼっちゃん、お嬢ちゃんとして私学あがりが多い。
もちろんみんないい奴だし、金持ち風情をひけらかすそぶりは全くなかったし、みんなバイトとかしてて普通やったけど、それでもスキーやアウトドアやドライブや飲み会、ちょっとずつおしゃれな感じで、いつも自分の背伸びレベルだった。
こっちもそんなそぶりは見せずに楽しく付き合ってたけど、それでもウラでは金どうやってまわそう、とか人知れず悩んだり、さすがに金がない時は「あー、俺バイトやわ」とか微妙にウソついて予定が合わんふりして切り盛りしたり。
だからそういう相対的なみじめさがずっとコンプレックスになってたのかも。
その後結婚して子供ができて、みんな仕事のこと、家庭のこと、子育てのことで同じように悩んでる。
でもちょっと違うのよねえ、俺からしたら。
子供の教育が大事なので勉強させなあかん、といって私立中学受験のためバシバシ塾に通わせるわ、小学校から私学に通わせる人もいるわ。
そりゃ教育大事よ。子供に立派に育ってほしいよ。反対の余地なし。
でも同じように子供3人いるけど、こっちはぎりぎりがんばってひとりだけ、どの子を私学にいかせようかとかそんな感じ。全員なんか絶対無理。破産する。
賃貸に住んで、中古車買って、5人で泊まったらめちゃくちゃ高いからパパがんばってドライブして基本日帰りで遠出して、ちょっとずつ我慢してるのよ、ほんとは。(妻からケチとも言われるけど)
もちろん自分になくて彼らにあるものをひたすら望んで過ごすことが自分の目指すゴールかというとそういわけではない、ということは頭でわかってる。
でもなんだかんだで比べる自分がいるのも事実。
昨日読んだ能面ヅラ美さんの記事「36歳で非リア充の私が思う、同世代のリア充とは… - 能面ヅラ美」目線からだと、確かに、全うに職についてるし結婚してるし子供いるし、「リア充」と言われればそうなのかもしれない。
一生懸命お父さんしてるのを見て、理想的ですねとかうらやましい、とか言われるときもあって、もちろんうれしい気持ちはあるけど、じゃあ「リア充」かと言われると「おかげさまで」なんて絶対言えないし思えない。
自分が自由に使えるお金なんてほとんどないよ。でも使わないといけない出費はいっぱいあるよ。
平日は仕事、休日は家族で自分が自由に使える時間もほとんどないよ。
もし自分に突出したものがあったら、、事業主になる、スポーツや芸能で実績を上げる、一国の長になる、もしそういうのがあったら「リア充」に近いのかも、とも思う。
でも一般的サラリーマンの場合は、そんなものない。
いや、オバマ大統領だってビルゲイツだってイチローだってまったく悩みや苦しみがないわけじゃないだろうし、もしかすると僕らが何気なく過ごしてる普通の生活を憧れてる部分も少しはあるかもしれない。
かわいそうな境遇の人たちや子供たちを見て、俺はそこまでじゃくてよかった、こいつらより上だ、と思うことで「リア充」を認識するかというとそれも違う。
「俺最高。非の打ちどころなし」と思ってる人がいたとしたらそれはそれでさらにイタい。
結局客観的に自分の「リア充」度をはかろうとすればするほど、そこには願望と実態が発生し、優劣が発生し、キリがない。結局相対的なもので、どこから自分を見つめるかの違いに過ぎない。
だから「リア充」の達成を実感するときなんか一生ないと思う。
でもそう思えば思うほど、自分の人生、ひとりよがりで勝手に卑下して悲観的になるだけ。
だから、「俺の人生、これだけは失いたくない、これを失ったら生きる価値なし」というものが何かを考えてそこに喜びを見出すことにしようと思う。
何でもいい。
とにかく好きなだけ読書する、営業実績上げる、マラソンで自己記録更新する、株で儲ける、ボランティアで喜ばれる、ワインを極める、写真や記事をfacebookやブログに載せて一杯イイねをもらう、何かのコミュニティで頼られる、アイドルを追っかける。。。
ひとによってそれぞれ、これは!と思える、打ち込めるもの、至福の時を感じられるものがあるはず。
自分の場合は、、やっぱり家族との思い出づくりかな。。
毎日のように妻と小競り合いあるし、どんどん言うこと聞かなくなる子供たちを叱るのでエネルギー消費するし、高い買い物二の足踏んでしまうし、将来の心配したらキリないし。
でももし何かの拍子で彼らを失ってしまって、家族で喜び合える瞬間が味わえなくなったら、今だったら死ねるな。
今日も帰ったら、きっと「早くしなさい!」とか怒ったり、毒を含んだ会話を妻と交わしたりとか、「ケチ」とか「つまらん」とか「うるさい」とかいろいろ文句言われたりするだろうけど、それでも自分の拠り所はそこかも。
今日から「リア充」積み上げ方式にする。
今のところ「マイ・リア充」ひとつゲット。
これから何個見つけられるかな。
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