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アラフォー父ちゃん

仕事、家庭、育児、人生、惑いまくりの名もなき団塊ジュニアのつぶやき

僕らにとって豊かで幸せな生活ってなんなんだろう

社会・世界のこと

ピダハン族のドキュメンタリーを見た。 
幸せな人生ってなんなのか、あらためて考えさせられた。 

ピダハン、アマゾンの奥地も奥地、町から船で丸3日以上もかけてやっとたどりつく集落だ。 

 
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わずか400人程度のその集落に、数十年前から通い詰めるキリスト教の伝道師がいた。 
敬虔なキリスト教信者であるその男性は、当初キリスト教の布教のためその集落を訪れた。 
 
代々受け継がれる伝道師たちの布教活動、しかしピダハンはそれを受け入れることなく、ついにその伝道者を無神論者に変えてしまった。 

彼らの言語は今世界中で論争を巻き起こしている。 
番組の主のテーマはその言語学の論争でそれはとても学術的な話なのでここでは割愛するが、彼らの言語はとにかくユニークだ。 

彼らの言語には左右の概念も数も色もない。 

音素は世界中の言語で最も少なく11しかないらしい。 
だから逆に口笛でもハミングでも言葉として成立するという。狩りでは今でもその口笛で獲物の位置を伝えあったりしている。 

彼らはその不思議な言語を使ってアマゾンの中で豊かで穏やかな生活を送っている。 

なぜ、熱心なキリスト教信者を最終的に無神論者にしてしまったのか。 

 



それはピダハン族の豊かな生き方に原因があった。 

ピダハン族の言語のもう一つの特徴、それは現在形しかないこと。 
過去、未来は存在しない。 

それもそのはず。 
彼らはこの奥地で何百年と外からの影響を受けることなく過ごしてきた。 

そして、彼らの住むこのアマゾンには、魚と水を常にたたえたアマゾン川の支流がある。 
さらには、緑豊かで多様な生物が常にいるジャングルがある。 

彼らはそこで何百年と狩猟生活を送ってきている。 

彼らは知っているのだ。 
川やジャングルにいけばいつでもそこに、自分たちが食べるに足るだけの生き物たちがいることが。 
だから彼らはいつまでたっても食の心配をすることがない。 

もちろんドキュメンタリーでは、魚を捕りにでかける旦那さんが魚を探しているとき、(現在形だけど)魚が捕れなければ奥さんは怒るだろう、といった万国共通の旦那さんの悩みを、近い将来を予測しながら発言している。 

その意味では、彼らにとっても過去の記憶や将来への予測がないわけではない。 

しかし僕ら文明社会に生きる不幸な人々と大きく違うこと、彼らには過去を後悔することも未来を不安に思うこともきっとない、ということ。 

食にありつけなかったらどうしよう、合格しなかったらどうしよう、失業したらどうしよう、どうしてあの時あんなことを言ったんだろう、どうしてあの時もっと頑張らなかったんだろう、、 

僕らは常に過去への後悔と未来への不安にさいなまれながら生きている。 

きっとそこには欲求があるからだろう。そして他人との比較が。 

有名なマズローの欲求5段階説があるが、僕らはある意味一生これにとらわれる。 
生理的な欲求から、一番高次の自己実現の欲求までいくのはいいけど、だからといって僕らは悩みから解放されるわけではない。 

欲求と他人との比較は際限ないからだ。 

でも彼らはただそこに住み、生きている。 
それ以上でもそれ以下でもない。 

ただ今を生きている。 
ずーっと、たった数百人の世界の中で。 

キリスト教を捨てたその伝道師は言っている。 

基本的に宗教は、「人は何か問題や悩みを抱えている」という前提に立っている。
でないと、そこから救いを求める意味がないからだ。 

まさにピダハン族は、その神をも必要としない、とても恵まれた人たちだ、というのだ。 

足るを知る。 
今を生きる。 

言葉でいうのはたやすい、でもその言葉そのままを実践している彼らの生き方を見ていると、僕らの生活は、悩みや辛さと向き合って生きていくしかないと諦めすら覚える。 

番組の最後、その元伝道師が現地に行ってから2年後に外国の撮影隊が現地入りし、その様子が撮影されていた。 

そこには、何百年続いたその生活が様変わりした様子が映し出されていた。 

ブラジル政府の政策により、ポルトガル語や数字を教える学校ができ、電気が通り、そしてテレビが設置された。 

「前より良くなった」とピダハン族が言うのが救いではある。 
でも数年後、数十年後、僕らには決して手に入れることのできない真に豊かな生活を、彼らはいつまで手にし続けられるのだろうか。