人は殺しちゃいけないと言える社会か?
最近目を背けたくなる殺人事件が多い。
不幸にも命を落とされた方、その大事な人を失ったご遺族や友人などの心痛を思うといたたまれない。
もしわが身に降りかかったらと思うと背筋が凍るし、絶対起こって欲しくない。
そしてそうやって悲しむ人がいるからこそ、親しい人にもそんな愚かなことは絶対やめてほしい。
そう思いながらも、うーん、と考えさせられる記事があった。
なぜ人を殺してはいけないのかと子どもに聞かれても答えられなくていいと思う - おうつしかえ
「人を殺してはいけないのか」と問われたら、自分ならどう答えるだろう。
もちろん道徳的にも法的にも殺人は許されてない。
でもそれは勝手に人間が決めたこと。
生物の中には、種の保存のため尊い命を投げ出して、雌や親に食べられるものもある。
それはすでに遺伝子に組み込まれた生の営みの一部だ。
では、人間にはそういう遺伝子はないのか?
でも人を殺すことはできる。
「人を殺してはいけない」と人間は決めている。
でも三つの例外も同時に決められている。
・自身が生命の危機にさらされる時、つまり正当防衛。
・多くの命を救うためのやむを得ない選択、例えば難破した船から脱出する時に誰を救うかという命の選択。
そして、
・クーデターや戦争時など、国家主権や国民の全体の安全を守る時。
シリアやパレスチナにあるように、世界を見渡すと、合法的に殺人が行われている。それも大量に。
もちろん道徳的にいいとは言ってないし、世界中から非難はされている。
でも合法的なのだ。
10万人殺しても、100万人殺しても罪に問われない。
正確には負けた方は国際的な戦争裁判などで裁かれて重い刑に服することになる。
でも勝った方は、、英雄、とまでなるかはともかく、罪には問われない。
勝てば官軍とはよく言ったものでこれは万国共通。
結局人を殺していいか悪いかは、僕らが都合良く決めてるに過ぎない。
忘れてはならないのは、殺したくて殺してるわけでもなく、殺さないといけないから殺してる人も世の中には大勢いるのだ。
もちろん、そんな人たちと単なる犯罪者を同列に扱ってはいけない。
言いたいのは、道徳的に悪い、許せないと分かっていても、時と場合によっては自分が人を殺す役回りになる可能性があるということだ。
人を殺してはいけない、という道徳的なことを教えるのはもちろん、人を殺していい状態にすることも許してはいけない、ということもみんなで共有したいもんだ。