W杯に一喜一憂。どうして僕らはこんなにも振り回されるのか。
今週のお題「サッカー」
日曜日は午後からフテ寝した。
昔から日本代表だけは、いつも気にかかって追いかけてきた。
それだけに、今回のW杯も、毎日毎日いろんな記事を見ては、先発誰だろう、とかヤヤ・トゥーレ出てくんのかな、とか思いを馳せていた。
ずっとドキドキしながら迎えた当日、そして結果は痛恨の逆転負け。
気が沈む。めっちゃ面白くない。
しかも残りの家族は全然興味なさげ。
だから昼ごはんもそこそこに、一人布団に潜った。
数時間後起き出した僕に妻が一言、「父の日だったから、今日は特別に寝かしておいてあげた」。
いやいや悪いねえ。
全然関係ないことで、旦那が機嫌悪くなったりして。
それにしても、なんでこんなに気分を乱してくれるんだろうか、スポーツって。
そう考え出すと、いろいろ疑問が浮かんでくる。
阪神ファン、あるいは神鋼ラグビーファンと、いろいろひいきのチームがあった。
そういうファンのチームの勝ち負けにいつも振り回されてきた。
なんで僕は、いや、人はお気に入りのチームに入れ込んでは一喜一憂するんだろうか。
スタジアムで応援するならまだしも、テレビ越しに僕らが応援したところで、勝敗に影響を与えられることなんでほとんどないのに。
いや、スポーツ観戦だけじゃない。人間関係だってそう。
僕らはいつも愚かな恋愛ゲームをしては、相手の出方を伺ったり、駆け引きしたり、疲れたりする。
他人だって究極には自分がコントロールできるわけじゃないのに。
人間はいつからこんなに、自分の力が及ばないことに一喜一憂するようになったんだろう。
そういや、動物たちは一喜一憂してるんだろうか。
彼らだって恋愛するし喧嘩もする、生死をかけた争いもする。
だからって、彼らは天敵を憂うわけでもなく、気候を恨むでもないように見える。
ただ、生きてる。
そう考えると、一喜一憂できるのは人間の特権か?
僕ら人間は、進化の過程で言葉を覚え、コミュニケーションができるようになり、そして社会生活を営み始めた。
そしてその脳の発達にあわせ、相手がどう考えるのか、天気はどうなるのか、作物はどう育つのか、そういった予想ができるようになった。期待とともに。
そして期待と結果のギャップで、嬉しかったり悲しかったりの感情が生まれる。
そうだ、僕らは進化と引き換えに、一喜一憂するという抗い難い、麻薬のような心理構造を手に入れてしまったんだ。
その最たるものが、その喜怒哀楽を最大限増幅させてくれる賭け事なのかもしれない。
何千年も前、ローマ時代から、剣闘士の戦いに興奮してきた僕ら人間。
愚かだねえ、僕らって。
一喜一憂って、結局発達した僕らの脳に振り回されてたんだ。
そこから抜け出すには?
今しか見ないこと、予想も期待もしないこと。
といっても難しい。
いっそ「僕、いつも一喜一憂して、感情に振り回されてます!」とか元気良く宣言して、ギリシャ戦に備えるかな?
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