アラフォー父ちゃん

仕事、家庭、育児、人生、惑いまくりの名もなき団塊ジュニアのつぶやき

歴史が色褪せないために

 

朝、出がけに何年ぶりかにライブで広島での平和記念式典を見た。

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69年前の朝ごはん時に落とされた一つの原爆で10万人以上の人が亡くなった。
 
でも70年という月日は大きい。
 
今日、慰霊碑に刻まれた犠牲者は28万人に上る、と言っていた。
そらそうだろう、あれから70年、その時赤ん坊だった人でさえそろそろ寿命が近い。
 
そう思うと、本当にライブで原爆を経験した人たちはほぼ亡くなられたかもしれない。

 

実際に今日のNHKでは、アンケートで日本人の半分ぐらいしかこの日を正しく認識できてないみたい。
街角インタビューで若者が答えてたけど、その記憶の曖昧さは、歴史の教科書の域を超えてない。
 
そらそうよねえ、当時は一生懸命年号とか覚えたけど、結局たまたま耳に残ってる語呂以外は、全く思い出せないし、学校で学ぶ歴史になった瞬間そんなもんだろう。
 
でも僕はなぜか覚えてる。
今40歳だから、戦争なんて生で経験したこともないし、幸い身内で戦争を生々しく語る人たちもいなかった。
 
それなのに原爆のイメージは生々しい。
 
それはどうしてかというとやっぱりはだしのゲンの存在が大きい。
 
あの鮮烈で時には目を背けたくなる描写は今でも思い出す。
そのイメージのおかげで、原爆の悲惨さがなんとなく僕の中で植え付けられてる。

人に寿命がある以上、口で語り継ぐのは限界がある。
だから活字や絵で残すのは意味があると思う。
 
描写がどぎつすぎて、はだしのゲンは教育に悪いという人もいるらしい。
もちろん、嫌な人は遠ざければいい。
 
でも中には興味を持つ人もいるだろう。
だから一律閲覧を禁じることだけはやめてほしいな。
 
でないと貴重な記録が本当に時とともに埋れ、みんなの記憶やそこから生まれる感情も無くなっていくだろうから。
 
最後に、同じく70年前、今も語り継がれる名言がある。
あまりに有名なので見た人も多いと思うけど(ちなみに恥ずかしながら自分はこのスピーチの部分しか知らなくて、映画見たことない)、チャップリンによる映画、独裁者でのワンシーン。
 
今も世界各地で争いが絶えない。
そんな今でも身に沁みる素晴らしい言葉だ。