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アラフォー父ちゃん

仕事、家庭、育児、人生、惑いまくりの名もなき団塊ジュニアのつぶやき

通勤電車でも心安らかに過ごす方法

生活・人生のこと
いつも通りの朝の通勤電車、いつも通りの停車駅。
でもその日はちょっと違っていた。

電車に乗って二つ目の停車駅に差し掛かる頃、突然静寂を破る嬌声が聞こえてきて、思わず読んでいた新聞から目を離した。

声の主は数十人の小学生たち。
遠足だろうか?

それを見た瞬間、「げっ」と思ってしまった。

キャーキャー言いながら、それぞれの入り口から乗ってきた。でも電車が動き出すと、あらかじめ先生に言われたからだろうか、みな神妙にじっと黙ってる。

そんな光景を見て、ふと疑問が湧いてきた。

「さっきの自分の心の揺れ動きはなんだったんだろう。」

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最初に訪れた感情は、突然の嬌声に対する「驚き」そして、「不快感」だった。

「不快?!、この俺が?」

子持ちの親だけあって、小さい子供を連れたお母さんなどを電車で見た時など、同情こそすれ、不快感など起こらない、と自認してきたはずだった。

でもそのとき最初に沸いた感情は、確かに不快感だった。

「それは子供に対する不快感だったんだろうか。」

いつもと違うその空間で、邪魔をしないよう一生懸命静かにしている子供達を見ていて、ふと原因が見えてきた。

それは子供達に対する不快感ではない。いつもの落ち着いた電車内の静寂を破られた、という自分の「日常」が不意に奪われた、という不快感だったのだ。

そう考え始めると、とたんに子供達の姿も違って見えてくる。

今、僕が「日常」と考えている同じ空間に、「非日常」を感じながらドキドキしている子供達がいる。

途中駅の乗降客に揉まれて、ひとり友達と離れてしまった子がそばに立っている。
きっとその子は、完全アウェーの中、友達とも離れて心細くなっているかもしれない、みんなが降りる駅で、無事人をかき分けて降りられるだろうか、と不安にかられてるかもしれない。

そう考えていると、そんな子供達に愛おしさすら感じ始めるから不思議だ。

隣には黒のフォーマルな衣装に身を包んだ、穏やかそうな老夫婦がいる。平日だし、もしかすると大事な人の告別式に行くのかもしれない。

リクルートスーツに身を包んだ若者もいる、寝不足の学生も、そして僕に似たサラリーマンも。

人生でたった一度しか会わないかもしれない、ただの同乗者たちにもそれぞれの人生と、その日がある。当たり前だけど。

そんな愛おしき赤の他人のことを考えてると、いつもより心穏やかになれた。

電車に揺られながら、そんなことを原稿にしてたなんて、周りの人たちは知らんだろうなあ。


結婚のコスパを計算してみた。

恋愛・夫婦・家族のこと
結婚は「コスパ」が悪いらしい。

先日、そんな価値観を持つ若者が少なくない、という記事を見た。

確かに、昔は「就職して結婚して子供を持って、マイカーやマイホームを持って」というのが今で言う勝ち組、いやそれ以前にみんなが歩みたいと思う、社会の一般的なレールだった。

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でもそれは昭和の出来事、僕らの親世代の「当たり前」だった。

バブルも知らない、終身雇用もはるか昔の出来事に感じる時代に大人になった今の人たちが、そんな一昔前の「当たり前」を「生き方の選択肢の一つ」としか思わない、というのも無理もない。

そもそも結婚をコスパで考えること自体、若干の違和感が拭えないあたり、僕自身もまだ一昔前の考えに近い人なんだろう。

だけど、だからこそ本当にコスパが悪いのか、あえて考えてみることにした。

1.僕らはそもそもどれだけの原資があるのか

現代の大人の生涯賃金は、税金や社会保険料を抜いて、平均で2億4,000万円らしい。

ざっくり大人になってから死ぬまでの60年をこのお金で過ごすことになる。(年金や投資のリターンなどは考慮しない)

でも結婚のコスパを考える場合、まず結婚に伴う費用とそれ以外を分けないといけない。

そのうち「住」は、賃貸でも保有でもどこか雨露をしのげる必要があるので、月10万円とすると年間120万円、60年で7,200万円がかかる。

また「衣食」、つまり普通の生活費も必ず必要だ。趣味や娯楽、ファッションなどを除いた純粋な生活費も、10万円はかかるだろう。
となるとこれまた生涯で7,200万円。

ここまでは単純に必要な経費なので、これを差し引くと、残り僕たちが生涯にわたって使えるお金は約1億円ということになる。

60年間で割ると、年間160万円あまり、月額13万円。

ここからが本題、月13万円をどう使うかだ。

このお金にはファッション、旅行、趣味、外食、車代など、それが無くても死なない出費が含まれる。

そして結婚した場合の費用も。

2.結婚のコスト

実際結婚すると何の費用が増えるんだろう。

仮にうちの場合のように、専業主婦だと収入ゼロに対し、生活費分は増えるので、コスト増と言えるかもしれない。

だとしても単純に倍になるわけでもない、感覚的にはせいぜい月3万円ぐらいだろうか。

しかも、今や共働きが普通の時代、結婚そのものが、「=コスト高」というわけでもない。

とすると結婚を求めない人たちがコストとして考えるのは、愛する人と一緒に人生を歩むことに対する代償、不自由さや忍耐、といった定性的、あるいは時間的な事なんだろうか。

3.結婚に伴うオプションのコスト

もうひとつ、人生の大きな選択肢になるのが、子供を持つということ。

これは確かに金銭的には大きい。
子供一人当たり2,000万円はかかるという今の時代、2人を持とうとすると4,000万円だ。

生涯にわたってそのコストを払うわけではないけど、単純化のため、60年間でそのコストを負担するとすると、月間5.5万円の負担になる。

13万円のうち5.5万円だから実に4割強を子育てに費やすことになる。

でも今や子供すら選択の時代、望まなければ産まないという選択肢が自然に許される時代だ。

しかも冷静に考えれば、5.5万円を費やしてもまだ7.5万円はある。専業主婦を養うため、仮にさらに3万円費やしたとしても、4.5万円ある。

毎月4.5万円のお金は、何もできないほど微々たるものだろうか。

4.コストは重荷か

この記事を書くにあたって、世の中の人たちはどう考えてるんだろう、といろいろ検索していると、とても素敵な言葉を見つけた。

人は「自分の荷物の重さ」によって苦しむのではなく、「なんでこの私が」と、その荷物を背負わなければならないという「現実」を肯定できないから苦しむのです。

今の日本では、いろんな考えや価値観があり、いろんな楽しみ方が許されている。

だから趣味も娯楽も恋愛も結婚も、そして子育ても、同じ尺度でコスパを考える人がいてもいい。

でも言いたい。
5.5万円を費やして得られる喜びと13万円を自由に使って得られる喜びは、そもそも比較できるんだろうか。

5.人生はあなたの選択次第

結局は、得られる資源で自分の幸せな人生を実現するため、何を選択するかなんだろう。

そして、自分が「選択」してる、という自覚と覚悟がある限り、それが「重荷」と思うことはない。

もし人生に結婚や家族が必要か、と悩んでる人がいたら、僕は「この選択に微塵の後悔もない」と声を大にして言いたい。






どうして面接がうまくいかないのか

仕事・キャリアのこと
就活の季節だ。

今年も、就活に向かう知り合いたちは、エントリーシートや面接に四苦八苦したり、その結果に一喜一憂してる。

この時期になると20年近く前の自分の垢抜けない就活経験を思い出し、そのイケてなさに嘆息したくなる。

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自己分析、志望動機、強み、人生観、いろんなことを考えて、いろんな壁にぶち当たった時期でもあったが、なんであんなに苦労したのか、今では何となく分かるような気もする。

そう、頭で考えれば考えるほど、自分の話す言葉が上滑りしてしまう理由が。

「御社の技術力が、、」
「御社のビジョンが、、」
「人と接することが好きで、、」
「会社とともに成長できる」

とかいろんなカッコつきそうな言葉を考えた。
でもうまく行ってなかった。

決定的に不足しているものがあったからだ。

「自分がここで働くというリアリティ。」

バイトの面接ではなんなくそのイメージを自分で作り出すことが出来てるのに。


もちろん、就活の難しさとは比べられないところもあるが、採用する側にとってみれば、相手が後々自分の後輩や同僚として一緒に働いて貢献してくれるかをみたい、という意味ではバイトの面接も就活のそれも同じだ。

マクドでも喫茶店でも、医療事務でも、バイトの時には「自分は、」とか「御社のポリシーは、」とかを肩肘はって考えず、「シフトで入ったら、どういう仕事をすることになるんだろう、自分にとってできることだろうか、時給は割に合うだろうか」、とかをまず考えてるだろう。

就活で入社を希望する会社だって同じこと。

もちろん会社ごとに使命や提供するモノ・サービスや、社風は異なるし、いろんな職務がある。

でも例えばホワイトカラーであれば、大体のことは、企画書などの書類を作り、相手や顧客に気に入ってもらえるよう策を練って説明し、物事をうまく進めるために、関係者とコミュニケーションを取り、説得したり協力を仰いだり相談したり、の連続だ。

例えば銀行志望ならプロファイをしたい、とか資産流動化に興味あります、とか法人営業をしたい、とか言うのはいい。

でも、もっと肝心なのは、その単語に潜む仕事を、毎日自分が取り組むタスクとしてどれだけ具体的にイメージができて、そしてその働いてるイメージを面接相手先に伝えられるか、「こいつは働いてくれそうだな」と思わせられるかだ。

就活で行き詰まったら、ぜひその会社の事業ではなく、冷静にその会社での毎日の仕事をイメージしてみてほしい。

そうすれば、自分の志望動機も自分の強みも、その後の質問への答えが、より地に足のついた、面接官に何か響くものになるはずだ。


父親としてほんとは娘に伝えたくても言い出せないこと

恋愛・夫婦・家族のこと
「こないの。」

はるか昔、学生時代の頃、この言葉にひそかにおののいていた。

未婚男性ならきっと一度は聞いたことがあるであろう、彼女からのこの言葉。

返答こそ「そっか~」なんて平然を装うけど、心の中では「な、なにぃ~!?」とうろたえることこの上ない。

いつだ、いつのことだ?!
なんか失敗したっけ?
いや落ち着け俺、まだ何かの要因で遅れてるだけじゃないか、だって彼女少し前体調崩してたし。。とか安心材料を懸命に探したり。
でももし本当にできてたらどうしよう、、どうする~、おれ。。

てな感じで、のん気な学生生活に、攻撃力抜群の一言で、「責任」や「人生」を突如突きつけられる。

まあ、結果的に本当にできちゃったことはなくていつも取り越し苦労に終わったのでよかったけど、とにかくあの瞬間は、うろたえ、悩み、一番歯切れの悪い自分だったことを今でも思い出す。

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こんな思い出ばなしをふとしてみたくなったのは、先週のお寺さんのある言葉がずっと心に残っていたからだ。

「生まれる前からお腹の中で生きてるから、生まれた瞬間は1歳。だからおばあちゃんは数えで享年100歳になる。」

人の親として、子供の誕生を経験してしまえば、妊娠後期にお腹の中の赤ちゃんが動く様子を感じて親二人して喜んだりもしてたから、今となっては自然に理解できる部分もあるけど、なるほど言われてみればそういうことだ。

調べると、妊娠4週目には心臓が脈を打ち始めるらしい。
そこからすでに命は始まっているんだ。

もともと妊娠することそのものは、そう簡単ではなく、とても尊い奇跡的な出来事でもある。

それだけに望まずしてできてしまい、そしてその命を心ならずも絶つ、ということを選択せざるを得なくなったとしたら、その業の深さを改めて感じざるを得ない。

娘も中学生になった。
まだ初恋もほど遠いような顔をしているけど、
最近は親と同じ小説をかなり読んでいて、そこには恋愛や妊娠はもとより、不倫とかもあるので、もしかすると変な知識だけは得てるのかもしれない。

そしてそう遠くない将来、誰かを好きになって付き合い出すかもわからない。

それどころか、徐々に娘がどういう気持ちで何を考えているのかがわかりにくくなってるので、父親はずっと知らぬままかもしれない。

それでもいい。とにかく、娘には、そして娘の周りの人たちには、望まない業を感じることなく過ごしてほしい、というのが父親の切なる願いだ。

と父親から面と向かって言われると、気味悪がられるだけだから、避妊のことはお母さんに託そう。

あぁ、お父さんの願いや思いはますます娘に伝わりにくくなる。
まあそれも親子の一時代か。











満開の桜の季節のお別れ

生活・人生のこと
願わくは花の下にて春死なん
その如月の望月のころ

多くの桜の歌を残した西行法師が詠んだもの。

如月の望月のころ、とはお釈迦様が亡くなられた2月15日だそうだ。

西行法師は晩年、自ら食を絶って、お釈迦様の亡くなった日に近い2月16日に亡くなったとされる。

旧暦の如月の望月のころは、今で言う3月下旬あたり、まさに桜の季節らしい。

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少しだけ間に合わなかった。

会いに行こうと思い立って、土曜の早朝新幹線で神戸に向かったけど、京都あたりで、母から「息を引き取りました」とメールがあった。

そして灘駅に到着。
そのままタクシーに飛び乗り、施設で眠るおばあちゃんのもとへ。

亡くなったばかりのおばあちゃんはまだあたたかかった。
おばあちゃんの温もりに触れられてよかった。

おばあちゃんが長年住む灘・王子公園の街は、桜並木が有名だ。

雨の予報に反して、朝から青空が広がっていたおかげで、町中が満開の桜、今は妹夫婦が住むおばあちゃんの家の前の通りも、それはもう見事な満開の桜だった。

食が細くなってからは水分しかとらず、一週間あまりを過ごしたおばあちゃん。

おばあちゃんの意思で、点滴や呼吸器はつけなかった。

現代医療では一度点滴などつけて延命を図ると、それを取ることは殺人にあたるらしい。
大きな病気もなかったおかげで、機械と薬の力で肺と心臓をただ動かし続けるだけの存在にならず、最後はゆっくりと命が尽きるのをみんなで見守ることができた。

そして、満開の桜の季節に亡くなった。

享年99歳。

お寺さんの場合は数え年のため、百歳。
お腹にいる時から生きているかららしい。

お腹の中にいる頃から動いてきた心臓は計算すると30億回以上、おばあちゃんの全身に血液を送り込んだことになる。

本当にお疲れ様。
位牌に書かれた「百歳」の文字が誇らしい。

おばあちゃんには三姉妹がいる。
そして15人の孫と、来月生まれる子を入れると15人のひ孫に恵まれた。

お通夜になった日曜、その日だけのために遠方から集まり、総勢40名近い親族が勢ぞろいした。

数年ぶりに見るいとこや、いつの間にか大きくなった甥姪たち。
久しぶりの再会は喜びと笑いばかりだった。

この親族の中でもトップクラスの笑いの持ち主が3姉妹たち。
亡くなったその日から、打ち合わせでもいろんな儀式でもボケとツッコミの応酬で笑いが絶えなかった。

もちろん、みんな大好きなおばあちゃんが逝って悲しくないはずはない。

でも、認知症が進んでなお、周りを和ませるようなジョークを飛ばし、施設のスタッフさんからも愛されてたおばあちゃんのことだ、こんなに賑やかで楽しげな親戚に見送られ、きっと笑って天国に行ってくれたはずだ。

妹の発案で、棺に親族からそれぞれのメッセージカードを入れた。

僕が選んだ言葉は、おばあちゃんから学んだ大事なもの。

「感謝」と「ユーモア」

おばあちゃんの血を分けた人たちには、確かにその二つが息づいていた。
そして僕にも。

おばあちゃんからもらったこの最強の二つの言葉。

これらがあれば、きっと人生楽しく過ごせる気がします。

おばあちゃん、ありがとう。
毎年の桜の季節の楽しみがひとつ増えました。

これからも見守っていてください。
ありがとう。

「もう長くない」と聞かされたら。

生活・人生のこと
母からメールがあった。

「おばあちゃんはGWまでもたないかも。」

今僕には二人のおばあちゃんがいるが、先日施設に入ったばかりのハイカラおばあちゃんじゃない方のおばあちゃんのこと。

先日施設で99歳のお祝いをしてもらったらしい。娘や孫、ひ孫たち数人に囲まれてのお祝いだった。

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すでに認知症が進んで数年、もう僕らのことはわからないけど、会うたびに、「おかげさまで」とか「ありがとう」と柔らかい微笑みで迎えてくれていた。

でも最近は熱も続き食事も喉を通らなくなったらしい。

元気だった頃、おばあちゃんから「自力で食べられなくなったら点滴とか無理せんといて」と言われてたらしく、今は摂取できる限りの水分などをとってるのみ。

そんな状態になってから一週間近くになるようで、意識がはっきりしない時間帯が増えてきている。

4月は仕事も家庭も何かと忙しい。
来週からは中学進学やら入園も控える。
僕は東京、おばあちゃんは地元神戸だ。
会いに行くにはちょっと遠い。

でも、孫たちは遠方からでも時間を作ってはおばあちゃんに会いに行き始めた。もう何も言わず、ただ眠り続けるばかりのおばあちゃんに、何をするでもないけど、ただその温もりを感じに。

僕はどうしよう。

帰省するたびに顔を見に行っていたが、去年か一昨年だったろうか、もう僕らのことを理解できないおばあちゃんに会いに行って、あまり話すこともなく一目見て帰って以来、顔を見ていない。
でもそれは、そう遠くない将来、最期の時が訪れると薄々わかってながらも、どこかまた会えばいい、と思ってたからだろう。

でも今回はきっと違う。

もし次会う時が冷たくなったおばあちゃんだとしたら、僕は何を思うだろう。

僕が物心つく頃、物静かなおじいちゃんは脳梗塞の影響で半身がうまく使えなかった。
僕が子供の頃に見るおばあちゃんは、そんなおじいちゃんを支えながらも、今60を超えてもなおかしましい三人娘をさすが育て上げただけあって、貫禄十分の元気なおばあちゃんだった。

小さい頃母親から、「おばあちゃんは婦人会代表やったのよ」と聞かされていた。
今思うとそれが、どれほど大きな組織だったのか、あるいはその辺の町内会程度だったのかはわからないが、とにかく何やらすごい力を持った女傑だったんだ、という畏怖の念が小さい頃の僕には刷り込まれていた。

そんなおばあちゃんも、おじいちゃんが30年ほど前に亡くなり、僕が大きくなるに連れ徐々に丸くなっていった。

そう、そんな頃からおばあちゃんはいろんなことに「ありがたい」という言葉を発していた。

おばあちゃんが心の底から発するその言葉を聞くたび、何か元気付けられていた気がする。

もしかするとその言葉のおかげで、僕は今毎日を前向きに生きられてるのかもしれない。

40歳を過ぎて、少しずつだけど、自分の人生や死というものを考えるようになったが、僕にその前向きなDNAを受け継いでくれた肉親がまさにその生涯を終えようとしている。

昔、一度だけおばあちゃんに激怒された。
いても立ってもいられなくなって、洗面所に逃げたが、その怒りを招いた自分の浅はかなわがままに小さいながらにもすごく後悔したことを思い出す。

小学校時代には夏休みになると、弟とともに何日もおばあちゃんの家に泊まって、セミの鳴き声とともに目を覚まし、子供にとっては豪華な朝食にいつも心を踊らせていた。

学生時代、おばあちゃんの家の目の前の歯科に矯正のため隔週で通ってはその足でおばあちゃんに会いに行ってたな。
そして毎回、本当に変わることなく、僕の好物だったうな重カップヌードルのセットを出してくれた。

やっぱり会いに行かないといけない。
ありがとう、と言いに行こう。
そして尊敬するおばあちゃんの最期の生き様を目に焼き付けておこう。

おばあちゃんの家の前の通りは毎年、桜並木がきれいに咲いていた。
まだ見れるかなあ。











おばあちゃんが施設に入ることの幸せ

生活・人生のこと
うちのおばあちゃんは、僕が生まれた時からおばあちゃんだ。
当たり前だけど。

今90台半ば、今僕が40歳だから、55歳ぐらいの時の孫になる。

昨日そのおばあちゃんが引越しした。

僕が生まれるはるか前、父親の子供の頃から住んでいた家を離れる。
正確に言えば阪神大震災の時に倒壊した後また建て替えたので、家は変わってるけど、それでもかれこれ60年ぐらいはその街に住み続けたことになる。

その街を離れ、ついに施設に入る決断をした。

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年老いるといろんなところにガタがくるもんで、おばあちゃんも10年近く前から片耳が著しく悪くなった。
そして数年前からは、音や言葉の高低を認識できなくなったそうで、全ての音はザーッという雑音にしか聞こえなくなった。

おじいちゃんは震災の影響で20年近く前に亡くなって、それ以来一人だ。

でも、補聴器をつければなんとか会話できないことないし、僕が物心着いた頃からおしゃれを決めていたおばあちゃんは今も紫の髪の毛だ。
今年に入ってからもボケずに一人暮らしを続けていたけど、ついに昨日、自らの意志で、施設に入った。

「昔おばあちゃんは辛かったのよ。」

おばあちゃんが若い頃の話を聞いたことがある。


貧乏だったけど、頭と気力で出世したおじいちゃんに連れ添い続けたおばあちゃん。
現役時代は良くも悪くも頑固なやり手だったおじいちゃんだったらしいが、僕が見るおじいちゃんはいつもコタツの決まった場所から動かず、ただ新聞やテレビを見ていた印象しかない。

そして微動だにしない、絵に描いたような亭主関白を支え、おばあちゃんは長年身の回りの世話をし続けた。

そして父親を含む三人兄弟、三人が三人とも頭でっかちの理屈王で、歳いってからも元旦から冷房はなぜ冷やすのか、というマニアックな議論で大盛り上がりする姿は、外様の自分の妻を呆れさせるほどだ。

そんな男だらけの家の中では、食事中も会話は全く盛り上がらない。

「ほんとは娘とかとオシャレの話とかしたかったのに、きつかったよ、女手一人で、全然動かない、反応もない男4人の世話をし続けるのは。」

と思い出愚痴を聞かされたこともある。

でも普段は根っからポジティブなおばあちゃん、また新しい人間関係もできる、と「楽しんでくるよ」と言い残して施設に入って行った。

そのポジティブさの血が少しでも自分にも流れていることは嬉しい。

昨日は、近くに住む父親はもとより、カナダと東京にそれぞれ住むおじたちも集結し、一緒に引越し作業をし、実家から持ち込んだ家具で、これまで住み慣れた家そっくりの部屋に仕立てたらしい。

きっと90年も生きると、そりゃ思い出したくもない時代や出来事は数限りなくあるだろう。

でも、人生の最後のステージを迎えようとするその時に、我が子たちがそろってそれを壮行してくれる、親としてこれほど幸せなことはないだろう。

僕も長生きしよう。

できるだけ親孝行できるように、また僕の子供達が親孝行をする喜びをできるだけ長く感じられるように。