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アラフォー父ちゃん

仕事、家庭、育児、人生、惑いまくりの名もなき団塊ジュニアのつぶやき

性格は時が経つと変わるのか

Facebookをやって一番良かったと思うこと。

 
それは音信不通になってしまった人と再会できるチャンスが格段に増えたことかな。
 
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一応年賀状のやりとりをしてるけど、それでもお互いライフステージが変わったり引っ越したりしてるうちにいつの間にか音信不通になってしまったことも少なくない。
 
特に一時期ベトナムにいたせいもあって、そのブランクで断絶してしまった人たちもいて残念だった。
 
人脈、というか人を大切にする人ならそんなヘマはしないのかもしれないけど、そんなズボラな僕を救ってくれたのがFacebookだ。

 

 
おかげで前職で一番仲が良かった奴と再会ができ、かつ偶然結婚の直前だったので急遽式に呼ばれることになったり、中学から離れ離れになった、実家の町内の友達と四半世紀ぶりに同窓会ができたり。
 
おかげで、人間関係が絶賛リバイバル中だ。
 
でもそれと同時に感じる違和感もある。
 
一番は、小中学時代など、昔仲が良かった子たちと復活した時の、今の自分と当時の自分のギャップだ。
 
大学ぐらいから今に続く仲間なら、その後の成長や変化も見えてるだけに違和感は感じない。
 
でもタイムスリップして再会した人たちはその変遷を知らないので、当時の相手を基準に見ている。
 
だから「あれ、こんなタイプだっけ?」と思うことも少なくない。
 
特に自分、東京にいるだけでアドバンテージをもらえたつもりの関西人として、大人になってからはどちらかというとツッコミとして笑いを取る方だけど、昔はまじめで優等生扱い。
 
だからどうも勝手が狂う。
 
同じように笑を取りに行っても反応が違ったり、ついテンポが遅れたり。
 
自分では意識してないつもりでも、周りの自分に対する見方がそうさせるのか、つい昔の自分、立ち位置が顔を出す。
 
それって、「自分を出せない」ということなのか?
 
今の自分からしたらそうかもしれない。
だからと言って、当時の自分は全く消えてなくなったかというと、現に顔を出すみたいに実は奥底で眠ってただけのように思える。
 
昔は人前でしゃべるなんてとてもできない子で、場慣れした今の姿からすると相当隔世の感がある。でも、内気だったのが完全に社交的になったかというとそうとも言い切れない。
 
要は大人になって、いろんな人間と付き合い、いろんな人間関係のもと経験を重ねた結果、苦手だったことが少しずつできるようになったり、別の顔を見せる引き出しが増えた、ということなんだろう。
 
引き出しが増えただけで、引き出しをそっくり入れ替えたわけではない。
 
これは人間性に厚みというか、幅ができたと喜ぶべきことなんだろう。
 
昔の友達と会うことで昔の自分にも会えることができる。
それはその後の自分の成長や変化に気づかせてくれることでもある。