いつの時代も不合理にしか行動できない人間が幸せをつかむ方法
電信、電話の実用化や鉄道網、汽船の定期航路の発達で、世界が狭くなり、国境を越えた商品、資本、人の行き来が増えていた。
経済の相互依存がこうも深まれば、領土拡張が国を富ませるという旧来の考えは、今や幻想。
今朝の日経で紹介されていたこの論文、英国のジャーナリスト、ノーマン・エンジェルが出版した「大いなる幻想」の一節らしい。
国境を越えた人、モノ、カネの移動と経済の相互依存、まさに現代のグローバリゼーションを物語っている。
でもこの論文、百年以上前の20世紀初頭に書かれた。
そしてこの論文には続きがある。
国家間の経済依存が深まれば、領土拡張にいそしむ戦争なんて馬鹿げてる、といいたげなこの論文の数年後、ちょうど100年前の6月にバルカン半島でのオーストリア皇太子夫妻の暗殺が引き金となって第一次世界大戦が勃発した。
ひるがえって今日。
100年前とは比べ物にならないぐらいのスピードと量で、人、モノ、カネが行き来する。
タイの洪水や日本での震災が瞬く間に世界中のグローバルチェーンを脅かす。
日本はもとより、多くの国は国際間の通商で潤い、また生活必需品や資源等欠かせないものを手に入れる。
それでもなくならない国家間の紛争や戦争。
それが経済的に合理的でないことは冷静になればわかっているというのに。
その不合理性は何も国家間だけではない。
いまや「人はいつも合理的とは限らない」ということが経済学の前提になっているように、僕たちも日々の生活で合理的とは言えない行動を知らず知らずのうちにとっている。
なんでなんだろうね。
見栄?プライド?エゴ?怒り?妬み?恐れ?打算?こだわり?後悔?
きっとそこにはどうしても感情に振り回される自分がいるからだろうか。
そう考えると、僕ら人間はどうあがいても感情から逃れることができない、とすると不合理な行動をとってしまうもの。
もちろん、後悔を減らすためにも合理的に行動しようとする気持ちも働くけど、どうしてもそこに限界は存在する。
じゃあやっぱり迷ったら気持ちいい方、嬉しい方にかけるんだろうね。
どうせ不合理なんだったら。
あとはその気持ちよさ、うれしさが持続することを祈るか、別の気持ちいいことを探し続けるか。
感情のサーフィンみたいなもんかな。
ノッていくために、その波(感情)をしっかりとらえながら。