僕らの人生ってとるに足らなさすぎて笑える
クリスマスの日の卒業
今年はついに長女にはサンタが来なかった。
「サンタってパパとママなんでしょ?友達言ってたし。」
と唐突に妻に質問をぶつけたのが2ヶ月前。
それまでもサンタばれ危機はあったし、もう小6にもなると薄々感じてるんだろう。
「私もそのうち子供にプレゼント買ってあげないといけないのかなあ。」
「気にすんの、そこ?!」といった質問が続くあたり、ロマンチックさのかけらもない現実路線の僕に似た感じがして、頑張れ女子、と別の気がかりができたりもしたが。
まあとにかく、このあたりが潮時かなと思って、この前たまたま二人になった時にカミングアウトした。
特に驚きもなく、はい了解、みたいな感じだった。
そのあとは妹のサンタのプレゼントを一緒に探したり、初めて親が堂々と買うプレゼントに何が欲しいか一緒に考えたりと、新しいクリスマスの過ごし方が始まろうとしてた。
群れることと異質さを正しく理解する大切さ
最近の痛ましいニュースを見てふと思った。
パキスタンでタリバンが学校を襲撃して、子供を含む140人が死亡したとか、アメリカで黒人が警察に射殺されて抗議行動が広がってるとか、シリアで政権と反体制の争いで多くの国民が犠牲になってるとか、世界中の悲しい抗争や戦いは後を絶たない。
その根底に流れるのは宗教や人種、政治・思想の違い。
同じ志を持つ、というところまでは耳障りがいいが、対抗勢力が現れるととたんに争いの種が生まれる。
何も世界的な殺し合いだけではない。
日常を見渡しても、政治や会社、あるいは町内会やPTAすら派閥が存在する。
子供だってクラスの中で、自然とグループができていき、何かしらに属するという社会行動が自然に行われる。
そして、他に属する者やどこにも属さない者の異質さに対する排他的な心理も同時に生まれる。
有史以来、ヒトはずっと愚かな戦いを繰り返してきたことを考えると、この心理は抑えることのできない、DNAに刷り込まれたものなんだろう。
確かに僕らヒトの先輩に当たるチンパンジーやゴリラだって、群れをなすし、グループのボスは自らのグループの生死をかけて他のグループと争う。
それもこれも、自分たちの餌やすみか、そして子孫を残し育てるために必要な環境を守るためだ。
群れを作ること、そしてその群れを守ることは、自分たちが生きることに直結する。
でも高度な知性を身につけて言葉と考えることを覚えたヒトは、同時に群れることと争うことの本質も拡大解釈し始めたような気がする。
冷静に考えれば、もともとは群れる理由であるはずの主義や主張、考えの違いは、即自分たちの生死を脅かすほどのものではなかったはずなのに。
自分の快適な環境や人生のために作る擬似的な群れが、やがて異質に対する違和感に変わり、そして争いへと発展する。
群れを作るなとは言わないし、それをやめることはできない。
でも僕ら一人一人が群れを作ることの根源はどこにあって、その無意識的な思考が行動にも影響を与えているという現実を正しく知っておかないと、世の中のしなくていい争いは減らない。
地球を守るため、世界の賢人たちは生物多様性の重要さを謳う。
ヒトは地球上に存在すると予測される860万種の生物のうちの一つにすぎない。
そもそも地球上は多様で異質なものに満ち溢れている、異質が基本にあるのだ。
もう一度身の回りの世界に戻る。
妻と自分、同じDNAから生産された子供たちですら、全く自分と異なる。
そしてまた見事に三者三様だ。
自分に最も近いいわば分身のような
存在ですら、異質であると認めざるを得ない現実もある。
異質に対する受容と寛大さを僕ら一人一人がもっと備えないと、安らかな世の中は訪れない。
子供を持ったら得られる喜びは役者と同じ
反抗期の子供を持つ親が、子育ての醍醐味を感じる瞬間
息子は小学4年生、多感なお年頃の入り口にいる。
自分のことを振り返ってみても、この頃からだったように思う。親にいろいろ反抗し始めたのは。
昔は良かった。
ハイハイを始めた、歩き始めた、、
小さい頃は一つ一つの新しいことがすぐ喜びに変わり、それを褒める子供も素直に喜んでいた。
でも今は違う。
単純な褒め褒め戦法はもはや全く通用しない、むしろ逆効果の時すらある。
10代に差し掛かる重要な入り口にいる息子に親が直接してやれる効果的なことはどんどん少なくなるというつらい現実を痛感する。
こうなってくると親になり代わって子供を導いてくれる大人たちに託すほかなくなる。
学校の先生、塾や習い事の先生、子供同士の友達の親たち、親の周りの大人たち、近所の大人たち、そしてテレビなどで見る世間の大人たち。
息子の周りにはいろんな大人たちがいるが、とりわけ重要なのはやっぱり先生だ。
今の息子にとっての主戦場は何と言っても学校、それだけに先生の存在が子供達に与える影響はあまりにも大きい。
一方でこちらから選ぶこともできない。
良い先生か悪い先生か、相性が合うか合わないかは、運に任せるしかない。
もちろん、自分のことを振り返っても、今でも思い出す大事な恩師もいれば、イマイチな先生もいた。
子供ながらにそれらの大人たちを鏡にしながら、それなりに感じたり吸収してきたんだろうと思うし、一概にどれが理想とかは言えない。
ただ一つ大事なのは、子供がその先生を慕っているか。
これはいま息子に起こっている変化を見るにつけ、大事な要素と思わずにはいられない。
我が息子は3月生まれで人より小さく、運動もできない。
典型的ないけてない方のクラスメートだ。
だからか、人一倍気が回り、人との関係に気を遣う姿には、どこか劣等感がなせる面影がある。
少し前までは、いろいろからかわれて我慢したりしていたのだろう、たまに家で爆発して大泣きすることもあった。
でもそんな息子が、4年生になると毎日心から楽しそうに学校に通うようになった。本当にありがたいことに。
その原因は間違いなく担任の先生だ。
以前からその先生の評判は、学校だけではなく、市の何かの取材に取り上げられたりするほど知れ渡っていたようだ。
その先生が巡り合わせでうちの担任になったのだ。
その先生は、ソフトヤンキー先生のような感じ、今は自分も立派な父親をされてるけど、どこかわんぱく時代の子供の熱い面影を残しつつ、一方で父親のように温かい、そんな包容力があり、それに生徒たちは心酔している。
息子は良くクラスのことを「家族みたい」という。しかもそれはクラスメート皆がそう思っているようだ。
その先生はほぼ毎日、保護者向けにB4サイズにびっしりと手書きで、クラスの通信を届けてくれる。
先月で100号を超えた。
イベントのこと、クラスでの授業や休み時間などの様子、いろいろ教えてくれるが特に評判なのが、子供達からの日記や作文の紹介。
彼らの表現力を大いに引き出し、そしてそれを認め賞賛する、しかも分け隔てなく。
この「慕う大人に認められると実感すること」ほど、子供達の成長を後押しするものはないだろう。
今週の通信に久しぶりに我が子のネタが掲載された。
まあ反抗期が始まりつつあるし、外向きの顔を親に見られるのはきっと歯がゆいからか、息子は進んで話題にしようとしないし、こちらもあえて話題にしない。
でもその通信のおかげで、普段親に見せない成長ぶりを垣間見ることができた。
いつも小さくて、どこか自信なさげだった我が子が、親が驚くほど生き生きと表現していた。
彼の自我が育まれている様子をそっと見守ることができる。
ささやかだけど、心の奥底からこみ上げてくる親としての喜びや醍醐味を夫婦で静かに噛み締めた。
担任の先生とそういう巡り合わせをもらえた運に感謝。
(以下、親バカですが、息子が先生に出すノートに書いた詩(?))
『めがね』
朝、僕は鼻にのっかる。
顔をあらって、はずされる。
それでも、またのっかる。
昼、僕は大活やく。
小さい字を見えるようにする。
でも、たまに交かんされる。
夜、おふろに入る前、外される。
そして、めがね置きの鼻で、僕はねる。
朝、僕は目覚めた。
エボラ出血熱研究の第一人者に学ぶ、正しいエボラの知識
職業柄、世界のいろんなニュースや事象が僕らの事業のきっかけになるので、いろいろ薄く広く知っておかないといけない。
そんな中、今年世界中で話題を振りまいた(といってもあまりうれしくない方で)感染症は、もしかすると世界流行語大賞ノミネート候補かもしれない。縁起でもないが。
昔ダスティン・ホフマン主演の「アウトブレイク」という映画があったが、まさに今年それが現実の世界で起きた。
それがエボラ出血熱。
グローバルに人が行き来する時代、遠いアフリカの地での流行も他人ごととは言えない。
幸いアウトブレイクにならなかったが、事実アメリカやスペインでも発症者が出た。
世界中を未知の恐怖に陥れたエボラ出血熱について、アメリカ陸軍でエボラ出血熱を研究する最高責任者が先日来日した講演会で、正しいエボラの知識を教えてくれました。
せっかくの情報なのでみなさんにもご紹介。
1.エボラ出血熱ってどういうもの?
・西アフリカを中心に猛威を振るった感染症。
・2014年の発症例での致死率は50%を超える。
・40歳未満か40歳以上かにより、致死率が大きく異なる(後者の方が高い)
・ウィルスは糸状ウィルス(filovirus)であり、昔旧ソ連が生物兵器として研究していたことがある。
・エボラがここまで致死率が高いのは、糸状ウィルスの性質により、免疫力の低下、炎症の発生などを起こすから。
・エボラは一つの分子が死を招く。これは、インフルエンザウィルスの1,000個分の分子のインパクトに相当。
・感染源としては、コウモリなどのほか、ヘビやネズミの可能性も。
・感染経路として、空気感染の心配はほとんどない。
2.どうしてここまで流行してしまったのか。
・西アフリカで初の流行で、住民の理解や医療従事者の経験が不足。
・また、もともと保健システムがぜい弱で、流行3か国の医師の数は、住民10万人あたりわずか1~2名程度。
・感染防止の知識や習慣(石鹸やアルコールによる手洗い、医療廃棄物の処理など)が不足、診断能力も不足。
・埋葬の慣習などがあって、コミュニティーの曝露レベルが大きい。
・地方に限らず都市部での感染が発生。
・国境を超える人の移動が頻繁。
・各国の対策への本気度が薄かった。
3.どうやったら治るのか(治療薬・ワクチンのこと)
・現在開発されている治療薬やワクチンについて、万能薬はない。
・候補としては、インフルエンザに効果のある富山化学のアビガンや米国製のBCX4430があるが、まだ実用化への道のりは長い。
・ワクチンも、まだ臨床試験のフェーズ2まで達したものがないため、どのタイプ・製品がよいのか、判断できる状況ではない。
クリスマスの季節が近づくと言いたくなる、ルミナリエのこと
クリスマスシーズンが近づいてくると町中が色めき始める。
今や桜や花火のシーズンと同様、数々のイルミネーションスポットを教えてくれるサイトすらできていて、すっかり季節の風物詩となった。
でもちょっぴり複雑な気持ちになる、神戸出身者としては。
本当は「他とは違うのだよ、他とは!」とランバラル大尉ばりに(知らない人は放っておいてください)声を大にして言いたい。
神戸ルミナリエのことだ。
いつの間にか単なる季節の風物詩として、one of themに成り下がってるような気がして残念でならない。
自分の記憶が正しければ、こういったイルミネーションがメジャーになったきっかけは2000年ごろだったと思う。
ミレニアムという言葉がはやったその頃、東京駅周辺で、ミレナリオというイルミネーションが大きな注目を集めた。
その頃はすでに東京勤務になってたけど、神戸人にとっては、なんか新入りが鳴り物入りで登場した感じが気に食わず、結局見に行かなかった。
だってルミナリエはその5年も前から始まってたから。
そして何よりの違いは、その灯りの違い。神戸のルミナリエの灯りは他とは違う。
LEDが主流な中、ルミナリエは白熱球で頑張ってるらしいけど、そんな物理的なことではない。
95年、神戸にとってはどん底だった。住み慣れた美しい街が一瞬にして瓦礫の山になった。
当日、父親とともに長田に住む祖父母を救出しに行く朝に見たあの光景は忘れられない。倒壊して火の手が上がる家並み、見上げると遠く先まで何本もの煙が立ち上って空を薄暗く覆っていた。
何千人もの人が亡くなられ、多くの人が家や商売、ふるさとを失った。
そんな中、みんなの思いが結実して実現されたのがその年の暮れのルミナリエだった。
美しい灯りが一斉に灯った時、涙した人も多かった。 当時はまだまばゆい光が輝くそばで、瓦礫も残っていた。 美しい光のアーチをくぐり抜ける終点には、亡くなられた人たちの名前を刻んだ慰霊碑が立っている。
そして、そのルミナリエの真髄はクリスマスよりも前に迎える最終日の消灯式にある。
去年の消灯式の様子を動画に投稿してくれてる人がいた。 鎮魂曲やアナウンスの後、1分すぎぐらいからその儀式が始まるので、そこだけでも見て欲しい。
そう、ルミナリエの灯りはクリスマスのそれとは違う。 亡くなられた御霊の灯りであり、生き残った人たちの希望の光なんだ。
だから荘厳で尊い。
震災後20回目を迎える今年のテーマは、「神戸 夢と光」、震災で打ちひしがれた僕らを勇気付けようとした初回のテーマと同じだ。
今年は12月15日まで。 神戸では厳粛な祈りの日が続く。