反抗期の子供を持つ親が、子育ての醍醐味を感じる瞬間
息子は小学4年生、多感なお年頃の入り口にいる。
自分のことを振り返ってみても、この頃からだったように思う。親にいろいろ反抗し始めたのは。
昔は良かった。
ハイハイを始めた、歩き始めた、、
小さい頃は一つ一つの新しいことがすぐ喜びに変わり、それを褒める子供も素直に喜んでいた。
でも今は違う。
単純な褒め褒め戦法はもはや全く通用しない、むしろ逆効果の時すらある。
10代に差し掛かる重要な入り口にいる息子に親が直接してやれる効果的なことはどんどん少なくなるというつらい現実を痛感する。
こうなってくると親になり代わって子供を導いてくれる大人たちに託すほかなくなる。
学校の先生、塾や習い事の先生、子供同士の友達の親たち、親の周りの大人たち、近所の大人たち、そしてテレビなどで見る世間の大人たち。
息子の周りにはいろんな大人たちがいるが、とりわけ重要なのはやっぱり先生だ。
今の息子にとっての主戦場は何と言っても学校、それだけに先生の存在が子供達に与える影響はあまりにも大きい。
一方でこちらから選ぶこともできない。
良い先生か悪い先生か、相性が合うか合わないかは、運に任せるしかない。
もちろん、自分のことを振り返っても、今でも思い出す大事な恩師もいれば、イマイチな先生もいた。
子供ながらにそれらの大人たちを鏡にしながら、それなりに感じたり吸収してきたんだろうと思うし、一概にどれが理想とかは言えない。
ただ一つ大事なのは、子供がその先生を慕っているか。
これはいま息子に起こっている変化を見るにつけ、大事な要素と思わずにはいられない。
我が息子は3月生まれで人より小さく、運動もできない。
典型的ないけてない方のクラスメートだ。
だからか、人一倍気が回り、人との関係に気を遣う姿には、どこか劣等感がなせる面影がある。
少し前までは、いろいろからかわれて我慢したりしていたのだろう、たまに家で爆発して大泣きすることもあった。
でもそんな息子が、4年生になると毎日心から楽しそうに学校に通うようになった。本当にありがたいことに。
その原因は間違いなく担任の先生だ。
以前からその先生の評判は、学校だけではなく、市の何かの取材に取り上げられたりするほど知れ渡っていたようだ。
その先生が巡り合わせでうちの担任になったのだ。
その先生は、ソフトヤンキー先生のような感じ、今は自分も立派な父親をされてるけど、どこかわんぱく時代の子供の熱い面影を残しつつ、一方で父親のように温かい、そんな包容力があり、それに生徒たちは心酔している。
息子は良くクラスのことを「家族みたい」という。しかもそれはクラスメート皆がそう思っているようだ。
その先生はほぼ毎日、保護者向けにB4サイズにびっしりと手書きで、クラスの通信を届けてくれる。
先月で100号を超えた。
イベントのこと、クラスでの授業や休み時間などの様子、いろいろ教えてくれるが特に評判なのが、子供達からの日記や作文の紹介。
彼らの表現力を大いに引き出し、そしてそれを認め賞賛する、しかも分け隔てなく。
この「慕う大人に認められると実感すること」ほど、子供達の成長を後押しするものはないだろう。
今週の通信に久しぶりに我が子のネタが掲載された。
まあ反抗期が始まりつつあるし、外向きの顔を親に見られるのはきっと歯がゆいからか、息子は進んで話題にしようとしないし、こちらもあえて話題にしない。
でもその通信のおかげで、普段親に見せない成長ぶりを垣間見ることができた。
いつも小さくて、どこか自信なさげだった我が子が、親が驚くほど生き生きと表現していた。
彼の自我が育まれている様子をそっと見守ることができる。
ささやかだけど、心の奥底からこみ上げてくる親としての喜びや醍醐味を夫婦で静かに噛み締めた。
担任の先生とそういう巡り合わせをもらえた運に感謝。
(以下、親バカですが、息子が先生に出すノートに書いた詩(?))
『めがね』
朝、僕は鼻にのっかる。
顔をあらって、はずされる。
それでも、またのっかる。
昼、僕は大活やく。
小さい字を見えるようにする。
でも、たまに交かんされる。
夜、おふろに入る前、外される。
そして、めがね置きの鼻で、僕はねる。
朝、僕は目覚めた。