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アラフォー父ちゃん

仕事、家庭、育児、人生、惑いまくりの名もなき団塊ジュニアのつぶやき

嬉しくないけど、大人になると上手くなったなと思ってしまうこと

大人になって上手くなったなと思えること。


それは、謝るということだ。


最近、さらに年を経るに連れ、そつなさの度合いに磨きがかかっているようにすら感じる。


「申し訳ありません」

「すみません」

「心苦しいです」

「ごめんなさい」

「恐縮です」


いろんな言葉を覚え、それを時と場合に応じて駆使できるようになってきた。


良くも悪くも謝ることに抵抗感がなくなってきた。


そのこつは、言葉に微妙に感情を乗せない方法を身につけたからかもしれない。


心の中では、

「自分だけが悪いわけじゃありません」

「しょうがなかったんです」

「ベストは尽くしました」


口には出さない逃げ口上が含まれていたりする。


でも待てよ、と最近ふと思うところがあった。


心底謝ったのはいつ以来だろう。


そもそも心から謝るってどんな時?


よく欧米の人は謝らない、と言われてきた。


I'm sorry.


英語の授業では謝罪を意味するその言葉、でも時と場合によっては、「残念に思う」と、実は謝ってないような表現にもとれる。


大人になってはじめて知った「遺憾」という言葉に近い。


そう考えると、大人になってからのこの社会、意外と心から謝ることってそう出くわすものでもない。


自分も、いつだったろう、と思い返してみる。

悪いことしたなあ、と苦い経験として思い出すことはあるけど、幸か不幸か、これこそ心底謝ったというものがすぐには思いつかない。


交通事故で相手に一生の傷を負わせてしまった、思わずその人の尊厳を脅かすひどい言動をしてしまった。


とかいうことであれば、きっとしでかしたことの大きさに、後悔というか、罪の意識を覚えるだろう。


そう、結局、謝る時の究極的な場面は、相手の人生を変えてしまう時に訪れるのかも。


あるいは、人に迷惑をかけたと、後悔の念に苛まれる時か。


僕の場合、もちろん、失敗した、悪いことした、と思い出すことは限りないけど、一番悔い改めた、という意味では、高校でしょうもないことで停学処分になり、激怒されると思った父親から、「起こしたことはしょうがないから、次何ができるかや」、と諭された時だろうか。


今は子供達を育てる立場だし、職場でも、若手に教える立場。


こっちに悪気はなくても、僕の言動で、実は彼らの考えや行動、人生に影響を及ぼしてるかもしれない。結果的に悪影響になっている可能性も考えず。


心底謝らなくてもいい。


でも何気ない僕らの言動が、知らず知らずのうちに、周りに大きな影響を与えてるかもしれない。


せめてそのことには謙虚でありたい。