嬉しくないけど、大人になると上手くなったなと思ってしまうこと
大人になって上手くなったなと思えること。
それは、謝るということだ。
最近、さらに年を経るに連れ、そつなさの度合いに磨きがかかっているようにすら感じる。
「申し訳ありません」
「すみません」
「心苦しいです」
「ごめんなさい」
「恐縮です」
いろんな言葉を覚え、それを時と場合に応じて駆使できるようになってきた。
良くも悪くも謝ることに抵抗感がなくなってきた。
そのこつは、言葉に微妙に感情を乗せない方法を身につけたからかもしれない。
心の中では、
「自分だけが悪いわけじゃありません」
「しょうがなかったんです」
「ベストは尽くしました」
口には出さない逃げ口上が含まれていたりする。
でも待てよ、と最近ふと思うところがあった。
心底謝ったのはいつ以来だろう。
そもそも心から謝るってどんな時?
よく欧米の人は謝らない、と言われてきた。
I'm sorry.
英語の授業では謝罪を意味するその言葉、でも時と場合によっては、「残念に思う」と、実は謝ってないような表現にもとれる。
大人になってはじめて知った「遺憾」という言葉に近い。
そう考えると、大人になってからのこの社会、意外と心から謝ることってそう出くわすものでもない。
自分も、いつだったろう、と思い返してみる。
悪いことしたなあ、と苦い経験として思い出すことはあるけど、幸か不幸か、これこそ心底謝ったというものがすぐには思いつかない。
交通事故で相手に一生の傷を負わせてしまった、思わずその人の尊厳を脅かすひどい言動をしてしまった。
とかいうことであれば、きっとしでかしたことの大きさに、後悔というか、罪の意識を覚えるだろう。
そう、結局、謝る時の究極的な場面は、相手の人生を変えてしまう時に訪れるのかも。
あるいは、人に迷惑をかけたと、後悔の念に苛まれる時か。
僕の場合、もちろん、失敗した、悪いことした、と思い出すことは限りないけど、一番悔い改めた、という意味では、高校でしょうもないことで停学処分になり、激怒されると思った父親から、「起こしたことはしょうがないから、次何ができるかや」、と諭された時だろうか。
今は子供達を育てる立場だし、職場でも、若手に教える立場。
こっちに悪気はなくても、僕の言動で、実は彼らの考えや行動、人生に影響を及ぼしてるかもしれない。結果的に悪影響になっている可能性も考えず。
心底謝らなくてもいい。
でも何気ない僕らの言動が、知らず知らずのうちに、周りに大きな影響を与えてるかもしれない。
せめてそのことには謙虚でありたい。