受験生の親ってほんとツライ。受験に向かわせたのは自分ですが。
自分以外の人を応援するほど、もどかしいものはない。
ましてやそれが身近で大切な人ならなおさらだ。
そういえば昔、阪神タイガースのあまりの不甲斐なさに苛立ち、挙げ句の果てに「自分の力の及ばないところで一喜一憂することの愚かさ」に気づき、ファンとして応援することから距離をおこうとしたことがあったが、その例えを出すのもはばかられるほどその比じゃない。
今日もふと頭をよぎるたびに、なんか心の奥底で鈍い痛みが疼いた。
昨日、娘が受検を終えた。
倍率7倍超の一発勝負。
昨日一日のために娘はがんばってきたし、家族も応援してきた。
その結果が出るのは一週間後。。
今の時代、私立なら翌日にでも結果がわかるけど、公立中高一貫の場合はそうはいかない。
実に精神安定上よくない。
そういえば、ここ何十年もドキドキしながら結果を待つというシチュエーションがなかったな、と思いつつようやく一日後を終えた。
「あとは結果論だよ。」
「人事を尽くしたから天命を待つだけ。」
「運とか巡り合わせもある。」
「何より今日まで頑張ってきたことがすごい。」
昨日はいろんな言葉を娘に投げかけたし、昨日ばかりは、思春期を迎え少しずつ微妙な距離になりつつある娘を抱きしめて頭を撫でてやった。
でも本当は親である自分が一番落ち着かないのよ。
公立中高一貫の問題は、いわゆるお受験問題とは異なり、いろんな日々の生活から出てくる問題があるからやっかいだ。
昨日はなんと、リンゴをむいた皮の形を選ぶ問題が出て、娘は間違えていた。。
600点満点で16問くらいしかないのに間違えること、そしてそれがあらかじめわかってしまうことのインパクトは大きい。。
あんまり手伝いをさせてなかったからなあ。。
数ヶ月前、全く料理をしないパパでも、リンゴの皮ぐらい余裕でむけるんだよ、という話で実演したことがあった。
まだ続けられたのに途中でなんとなく切ってしまったことを今更ながら後悔してる。
あの時最後までつなげてむいて、その形を披露でもしていたら、もしかすると娘はその形を覚えてたかもしれないのに。
「世の中に、たら、れば、はない。」
「挫折も糧になる。」
いろんなもっともらしい言葉は浮かぶけど、今はどれも虚しい。
まだ結果は出ていないのに、ふさわしい言葉ばかりを探してしまう。
これからこういう場面、子供にとって重大な局面に対峙する時はいろいろくるんだろう。
どんな結果になっても、それを本人の人生にとって意味あるものとして受け止められるよう、親としてどんな言葉を選び、どんな接し方をしてあげられるのか。
親であることほど修行になることはない。