親の存在感が少しずつ薄れていくということ
昨日は暑かった。。
全国的にその日は運動会。
うちの小学校も御多分に洩れず、昨日が運動会だった。
長女にとっては最後の運動会、二つ下の息子もはや4年、高学年としての運動会だ。
今年は娘が赤、息子が白だったので、親としては気楽というか。どっちが勝ってもいいので、あまり気合が入らず淡々と見てた。
思えば3年前、日本に帰ってきてからの初めての運動会は最後に逆転負けして、同じ組だった姉弟の落胆ぶりは半端なかった。
そしてその翌年、また同じ組になった二人はデッドヒートの末勝利!
その時の喜びようは親としても見てて嬉しくなった。
でも残念なことに、家に帰ってからは険悪な雰囲気に。
なんとなく先に家に帰ってしまった僕ら。
実は、多くの親は子供達が帰るのを待ち受けて一緒に帰ったらしい。去年もそうだったのにすっかり忘れてた。。
その後の子供達の荒れること荒れること。せっかく喜びを分かち合いたかったのに、親が見当たらずずっと学校内を探し回ってべそをかきながら帰宅する羽目になった。
だから今年も一応弟が出てくるまで待った。
一時間も待った頃、ようやくクラスのみんなが出てきた。
そして、少し遅れて靴を履く息子の姿も見えた。
さあ帰ろう、と思って声をかけようと思った矢先、自分の存在には目もくれず、少し前を行く友達の名前を呼びながら駆け出して行ってしまった。。
日焼けして疲れた身体に鞭打って、ずっと待ってたのに、と思いながらも、友達とじゃれあいながらグラウンドの遊具のところに行って盛り上がってるのを見ると、不思議と悪い気はしなかった。
最近は家の近所で親子で歩いてても、友達がいそうなあたりになると、ちょっと距離を置いたりよそよそしくなったり、という振る舞いが見えるようになった。
少しずつ、子供の社会での親の存在感は薄れて行く。
そう、今はそういうお年頃なんだ。
友達が大事。
だからこそ、友達と楽しそうに話したり盛り上がったりしてる様子を見ると、順調に親離れが進んでるようで嬉しい。
もう一方の長女。
「今日は友達と帰る」と最初から親はお呼びでない。
でも息子に振られてとぼとぼ一人荷物を抱えて歩いていると、友達と楽しく喋りながら歩いてる長女に追いついた。
「あ、いたんだ。」
「うん」
とその瞬間、妙な間合いが。
まあでも、まだ娘は笑顔で話しかけてくれる。
少しはにかんだ娘を追い抜いて、先に家に帰った。
正直運動会は全く目立たない運動音痴な二人。
でも、二人とも学校生活を満喫してる姿を垣間見えて、そのことが親としては嬉しかった。