これだけは忘れたくない。受験生の親が大事にしておくべきこと。
本番まであと2週間を切った。
自分は経験したことがないだけに、12歳の子供が大一番を迎える気持ちがどれほどのものかは実感できない。
ただ、普段はそれほど喜怒哀楽を表に出さない娘にしては、涙したり親に甘えてみたり、弱気な言葉を発したりするあたり、さすがに不安に包まれているのだろう。
中学受験させること。
これについては、妻と散々議論した。
結局長女は公立の中高一貫だけ受けることにした。
子供にとって良かれと思って、その環境を提示し、路線を敷く。
ただ、親の思惑通り歩んでくれるか、喜んで歩んでくれるかはわからないし、逆に働くこともある。
路線を敷く親の責任も重い。
受験したら、人生にとって何がいいのか。そのために多大な労力を払わせる報いは何なのか。それでもうまくいかなかった時に何を得られるのか。
親として、子供にしっかりと教えてあげる責任を感じる。
今日たまたまいい記事を見つけた。
受験させること、そのために塾に通うことの意義と限界を、塾の先生自らが語ってくれているが、その言葉がとても身に沁みる。
きっとこの人は優秀な塾講師である以前に、立派な大人であり親なんだろう。
話の内容は、学校に通わせることの意味だが、同時に親として、大事な年頃の子供に何を伝え与えるべきか、という大事なことを考えさせてくれる記事だった。
小学校の授業なんか意味がないと主張する、学歴主義・塾信者の母親。その時塾講師が諭した「小学校の存在意義」が、教育の本質を物語る。 |
とある大手塾の入塾説明会での質疑応答で、「学校に行かせる意味はない」と発言する母親に対し、真剣な表情で諭す塾講師の話。
「前提として、これはあくまで、僕個人の見解ということをご理解下さい。」
「子供が小学校の授業に参加する事に意味なんかないという話ですが、僕はこれはそうではないと思います」
「子供にとって、どんな教育か必要かを、一度考えてみてください」
「恐らく、この塾の入塾説明会に来ている人は、子供の成績を伸ばし、良い学校にいれさせる事が、良い教育であると考えていることと思います」
「もちろん、私どもの塾も、成績を伸ばし、良い学校に入学させる事を目的にして事業をやっているので、これが重要であると考えているのは言うまでもありません」
「しかし、塾と学校は、大きく役割が異なると思っています」
「塾の役割は、とにかく試験やテストの成績を伸ばす事です。その為のカリキュラムを組み、みっちり勉強を教えます」
「しかし学校は、試験やテストの成績という限定的な要素だけを伸ばす場所ではなく、『人間的な成長機会』を与える場所なのです」
「学校という社会で生きる事により、人と調和をしながら生きる事を学び、規則校則の中で生活する事で、秩序の成り立ちを学ぶ」
「人の気持ちを感じ、社会の生き方を感じ、友情や愛情・喜怒哀楽の感情を育て、未来を生きる上で必ず必要な『自我』を築き上げる場なのです」
「極論言えば、子供の頃のテストや試験の点数なんて、将来を生きる上では、何の役にも立ちません」
「皆様も、過去のテストの点数が、今の生活に左右されていると感じながら生きてはいないはずです」
「しかし、自我というのは、人間の根底の部分になります」
「人に優しく、愛し、受け入れながら生きる事ができるか。社会に優しく、愛し、受け入れながら生きる事ができるか」
「これができるかできないかで、将来の幸せは大きく異なってくるものです」
「皆様が、子供を良い学校に入れたい、試験の点数を伸ばしてあげたいという気持ちはよくわかります」
「しかしそれと同じ位、いやそれ以上に、子供の人間性を伸ばす事も重要なのです」
「この塾では、試験やテストの点数を伸ばす事に全力で取り組ませていただきます」
「でも、決してその表面上の数字だけで子供の成長を判断するのではなく、人間としての成長を、しっかり子供を見て、学校と協力しながら、育てていってほしいと思います」
本番を前に妻が手作りの合格祈願お守りを作った。
その中に親から長女にあてる手紙を入れようと話をしている。
何を書こうか。
どれだけ娘を愛してるか。
娘のこれまでの努力にどれほど感動してるか。
努力を経た娘の成長がどれほど喜ばしいことか。
娘を勇気付けられる言葉を綴れるといいけど。