みんなだって浅田真央選手とおんなじ。苦しみの向こうに見えること。
10日間のミャンマー出張が無事終わった。
2013年10月から始まったあるプロジェクト組成のための案件、いろいろひと騒動を起こした類似案件のトラウマもあって、本件も途中は紆余曲折があったけど、最後の最後でうまくまとまって本当に良かった。
ほっとしながら、帰りの便に乗るまでの間、なんとなく見たくなって日本中で感動を巻き起こしてる浅田真央選手のフリープログラムを動画で見た。(相変わらずネット環境が悪いのでとってもスローだったけど)
ショートプログラムのときは、何か頭と体がバラバラになって、という言葉がとても印象に残ってた。
そうそう、あるある。
子供のころのピアノ発表会の時、一生懸命練習していざ本番を迎えるけど、やっぱりその時はどうしても緊張してしまう。
いつも弾きなれた曲なのに、途中から「あれっ?この次ってどういう展開だったっけ?」とか急に頭が考え始める。
でも手は覚えてるからそのまま動き続けるけど、どうしても頭と体が一体化してない感じがずっとつきまとって、結局難しいところでつまずいたりして、、そういうときの「なんで?」という悔しさが忘れられない。
たいていうまくいくときは、緊張感もエネルギーに変えられるほど精神状態が安定してるような時。そういう時はなんとなく自然に流れるように演奏ができる。
そんな子供のころのピアノと浅田選手を同じように扱うのは失礼だけど、最後の最後はいかに良い精神状態に持って行けるかというのがどれだけ大事かというのを改めて痛感させられる。
なんとか動画を見終わって、大歓声に包まれながら表情を崩す浅田選手。
じーんと来た。
こりゃ感動するわ。
有終の美っていうのはこういうのを言うんだろうな。
終わりよければすべてよし。ハッピーエンドですべてのことを幸せに包んでくれる。
そうか、俺も有終の美だった。
ミャンマーって注目を集めるだけに、いろんな関係者がいて、普段の仕事より難しい。
正直好き勝手言われて「くそー」と思うこともあったし、協議が難航してる時に嫌味を言われ「なんで俺がそんなこと言われなあかんねn」とか思ったりもした。
注目度が高いだけに結局ありがた迷惑な横槍が入ったり、必要以上に委縮して前に進まなかったり本当に紆余曲折だった。
でもいい。
最後が満足だったから。
最後にもう一度ミャンマー愛を認識できてよかった。
3月からは新しい部署でまた新しい職務と生活が始まる。
でも今は有終の美のおかげで、とても落ち着いた前向きなパワーがみなぎってるように感じてる。
ありがとう、ミャンマー。
俺も帰ったら家族とハグして焼肉食べにいこっと。
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