ミャンマーに来て思う、子育てのために親がしてはいけないこと
子供たちが年頃になってきたので、僕ら夫婦はどうしても子供たちの受験のことに関心が向きがち。
でも、今ミャンマーに来て、彼らの生活や人間模様を垣間見るおかげで、子育てのことについていろいろ考えさせられる。
今回お世話になっているもう一人の通訳、(ミャンマーでの)今どきの若いあっけらかんとしたたぶん20代の女の子は昨日が自分の誕生日だった。
ミャンマーでは自分の誕生日は、自分がふるまうらしい。わざわざ僕らのためにローカルのランチ(出前弁当)を用意して持ってきてくれた。そのあと友達にもふるまわないといけないので、と早々に退散。
なんでも誕生日にそういう振る舞いをすることで「徳」を積むことにもなるらしい。
まあでも今どきの女の子なのでおしゃれもしたいしバッグや時計やいろんなものを買いたい年頃、一応そういう「欲」をおさえるためにパゴダにいってお参りしてると冗談めかして話をしていた。
そうやって日本語や英語を話せる人たちは高等教育を受けられるエリートだけど、街中を歩いていると日本にはない光景を目の当たりにする。
ヤンゴンの大都市でも当然貧しい人は貧しくて、子供たちでも学校に行ける子もいれば、ローカルの食堂で当たり前のように働いてる子供たちもいる。渋滞で止まる車列の間をすりぬけながら、汚いかっこをした男性に手を引かれるこれまた汚い身なりの小さい子供がいたりする。
最近は日本から輸入された中古救急車をよく見かけるようになったけど、日本にある健康保険制度なんてないので、救急車に乗れるほどお金を持ってる人なんてほんと一握り。
薬屋さんでは、ビンごとで売ると高くて買えないので、一錠ずつ売ってくれたりするらしい。日本では厳しくて絶対やってくれないけど、ある意味自分たちでリスク管理しながら、この薬はきくとか、これぐらい飲めば大丈夫とか判断してる。
そういうのを見ると、途上国の人々のほうがはるかに日本の人たちよりたくましく、それぞれの置かれた環境で精いっぱい自分の足で「毎日を生きてる」と思う。
日本では、どうやって子供たちがそういう強い大人になれるんだろう。
もちろん勉強して知識をつけることが未来を切り開く一つの要素であることは間違いない。
でも社会に出れば答えのないことだらけ、そしていつまでたっても自分に未知の世界や出来事を知り、また自分の理解や経験を超えた「違い」や「困難」に直面することばかりで、そういうことは勉強では教えてくれない。
いくら分厚い参考書とかマニュアルを読みこなしても、経験しなければスポーツはうまくならないのと同じ。
いろんな世界を実体験して衝撃を受けて、冷や汗をかきながらでもそれを乗り越える経験をして自信をつけていくこと、そういったことなしにどういう環境でも自ら考えてたくましく乗り越えていける子になれないんじゃないかとも思う。
かわいい子には旅をさせよ。
子供を守るというのは、将来彼らが自分たちの足で強く生きていけるようにしてあげることであって、目の前の困難から遠ざけてあげることではない。
学校に行かせても塾に行かせても、子育てそのものは他人任せにできることではない。
子育てはとことん親の器量が試される。