茂木健一郎さんの偏差値入試批判はわかるけど、親として言いたいこと。
ここ数日、茂木健一郎さんの、偏差値教育に対するツイッターでの批判「
(1/2) 有名受験予備校を名指しで「つぶれろ!」 茂木健一郎氏の偏差値入試批判がネットで物議 : J-CASTニュース
」が論争を巻き起こしている。
背景はよく知らないけど、いくつか記事を見ると、ある大学での学生との接点から思うところがあったみたい。
なんでも、有名予備校達を名指しして、「つぶれろ」というぐらいだから、相当感じるところがあったんだろうな。
でも言わんとするところはよくわかる。
小学校高学年になる子供達をどう育てるか、やっぱり夫婦での最近の話題は受験になる。
偏差値や学校名が全てじゃない、というのはよくわかってるけど。
でもやっぱり僕らアラフォー世代も今も残る学歴社会の申し子だった。
幸か不幸か僕自身は私立知らずだけど、偏差値や出身大学に全く影響されない人生だったかというと、やっぱりそれは全くの嘘になる。
そもそも偏差値のない社会はあるんだろうか。
偏差値自体が悪だとしても、みんながそれに何らかの拠り所を見出そうとする限り、なくならない。
結局人は何かわかりやすい指標を求めてしまうもの。
よく考えれば社会に出てもそう変わらない。
あの人は資産をどれだけ持ってる、といった金銭的指標。
会社にいても、売上や利益がどれだけ上がったとか、個々の業績がどうとかで判断されがち。
下手すると国家の幸せだって、一人当たりGDPやら成長率とかで判断される。
会社が発展しようと優秀な人材を集める時、やっぱり何らかの目に見える指標に影響されるのもわかる。
大学だって優秀な学生を取りたいから、これまたわかりやすい点数とかで切っていく。
取る側、選ぶ側も基準がないと判断しづらいし、手間がかかってしょうがない。
だから世の中の仕組みとして偏差値は存在する。
なので大事なこと、それは予備校たちの営業戦略に踊らされるな!、ということ。
親たちが!
何も脱偏差値や脱お受験を叫ぶつもりはない。
でも、社会に出た親たちが本当はわかってること。
世の中、学校名や偏差値だけじゃなにも評価されないこと。
僕らだって高偏差値=happyじゃないことはよ~く知ってる。
偏差値の意味と限界をちゃんと見据えた上で、それでもなぜ子供にこの学歴社会に挑ませる必要があるのかを、自分の子供にしっかり説明できないといけない。
子供だって、価値基準について薄々感じてるはず。
だって小学校でモテる子はいつも運動ができる子。勉強できる子じゃない。
社会の中での良し悪しというか価値、比較というのは、たった一つの指標で測れるものではない。
投資家のポジショントークに踊らされて、株で大損したとしても自己責任。
予備校の先生のポジショントークに踊らされたとしても自己責任。
でも、その影響を被るのは大事な子供たちだよ。
だからもう一度言いたい。
親は予備校の営業トークに乗るのは許す。でも決して踊らされるな。