学校では決して教えてくれないこと
今日は古巣の歓送迎会、後任とともに参加した。
その後二人で夜の引き継ぎ会に。
彼は直前までネパール事務所にいた。
年齢こそ5歳ほど下だけど、中途採用組で、しかも金融機関出身だったりと何か親近感を感じる。
飲みながらなんでこの世界に入ったのかという話になった。
今でこそ落ち着いてしまったらしいけど、数年前までバックパッカーとして世界中を渡り歩くのが趣味だった彼。
インドで身ぐるみはがされそうになって生きるか死ぬかの修羅場をくぐったりと、なかなかの経験の持ち主だ。
その彼がどうしてこの世界に興味を持ったか。
聞くと高校入学前の家族旅行で行ったグランドキャニオンに度肝を抜かれ、こんな広い世界があるのかと衝撃を受けたのが原体験らしい。
そういう僕も、世界への扉を開いてくれたのは、高校時代のアメリカへのホームステイ。
子供時代の世界って今思うと驚くほど狭い。
小学校時代は、「○○町」単位。
中学も最寄りの公立だったので、複数の町に広がったけど、せいぜい駅ひとつ分。
やっと高校に上がってから市内レベルに活動が広がる。
そんな中での突然の海外。
いやもう毛穴広がりまくり。
広いフィールドの中を自転車で進む光景。
the cityという感じの、クリーブランドの都会。
メジャー級のスーパーとメガサイズの食材。
いろんなことが、これまでの十数年では見たこともない経験で、見るもの感じるもの全てが刺激だったのを今でもありありと覚えてる。
今思うとそういう原体験が今の人生を形作ってるね、と二人して盛り上がった。
いろんな問題を解ける、いろんな知識を正しく蓄える。
もちろんそういう積み重ねが、今の日本での学歴社会で未来を切り拓いてくれるとも思う。
でもそういう知識は程度の差こそあれ誰でも持ってる代えのきくもの。
それよりも、多感な時代に得る驚き、感動といった体験は間違いなくオンリーワンのものとして、自分の血となり肉となるはず。
子供達がどのように感じてもいい。
とにかくそういった経験を少しでも多く子供達に与えることが、立派な大人に育てる一つの大事な鍵なんだろうなと感じる。
大人になるまでにどれだけの感動の種をまけるか、それが親の務めなんだろうな。
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