結局価値観の優劣を他人と争うことは無理ということか
昨日、親と先生のことを書いた。
先生が自分の子供を優先して休むことを悪だという大人が理解できない - アラフォー父ちゃん
帰宅してからも思いのほか妻と議論になったりして、つい生徒の親目線で見がちな妻となかなか意見が合わず、やっぱり考えは人それぞれなんだなと当たり前のことを思ったり。
昨日なんで腹立たしい感情が生まれたのかを考えてみた。
きっとその原因は価値観を押し付ける人に対する嫌悪感だったんだろうと思う。
そういうお前だって思い切り自分の価値観を振りかざしてるやん!という突っ込みを受けるかも。
確かに自分にはそのつもりがなくても、相手にそう思わせた時点で、それは押し付けになるかもしれないし、まじめに考えるとなかなか悩ましい。
たまたまベトナムに住んだり、海外に仕事にいくことで出会う世界を見ると、日本の常識は世界の非常識なこともよくあるし、自分自身、こんな大人になってもなんで自分の考えや振る舞いってこんなおかしいんだろうと思うこともざらにある。
その意味では自分の価値観なんてまあ怪しいもの。
ただ言いたいことは、自分がわかってるつもりの常識や良いと思ってることなんて、せいぜいその時に自分が感じる価値観に過ぎず、いつまでたっても一人称、他人が同じように感じてると思ったら大間違い、ということかな。
世の中誰もが納得する絶対の善悪なんてほとんどない。人によって感じ方、考えが違うだろうから。
だから自分の意見を言うのはいい。でもだからと言って他人の意見や考え方を否定していいということにはならない。
腹立たしかったのはそこかな。
とにかく世の価値観や常識なんてフワフワと実態のないもので、時代やそれを構成する人が変われば、すぐ変わるもの。
でも無視するわけにもいかないから、常に自分の価値観と世間や周りの人たちの価値観の違いをありのままに認識し、その上で自分なりの立ち位置や世間や他人との距離感に気をつける、というのが、大人らしい振る舞いなのかなあ。
明確な答えがないのが実社会、子供にもそういう感覚を身につけて欲しいとも思うけど、それも押し付けだろうか。
<関連記事>
・ああ、甘え上手が羨ましい。しっかり者の憂鬱 - アラフォー父ちゃん
・悩みや苦しみで押しつぶされそうな時にあなたを救ってくれること - アラフォー父ちゃん
・みんなだって浅田真央選手とおんなじ。苦しみの向こうに見えること。 - アラフォー父ちゃん
・一生懸命日々を過ごすミャンマー人に背筋を伸ばされる - アラフォー父ちゃん
・iphoneなくした!そしたら幸せがふってきた。 - アラフォー父ちゃん